「あらし」が対戦したゲームたち
――ゲームグラフィティ1978〜1983――
© Gamecenter Arashi Kenkyukai (1993)
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 このインタビューは、『ゲームセンターあらしの秘密』(ゲームセンターあらし研究会・著/データハウス・刊/1,000円)第2章を筆者、版元の許諾を得てホームページ用に再編集したものです。無断転載はお断りいたします。
 文中の巻数、ページ数は、小学館てんとう虫コミックス版(全17巻)を元にしています。



★「ゲームセンターあらし」前夜
「ゲームセンターあらし」に登場したゲームは、おびただしい数にのぼる。
 ブロックくずしから始まって、スペースインベーダーが日本中を席捲し、ギャラクシアン、パックマンが一世を風靡(ふうび)した時代でもあった。
「ゲーセンあらし」には、これらのアーケード・ゲームから、ゲーム・ウォッチのような電卓型ゲームやゲーム電卓にいたるまで、数十種類のゲームが登場している。
「ゲーセンあらし」は、ブロックくずし、スペースインベーダーから始まった第1期ゲーム黄金期ともいえる時代に連載された。ゲームの時代的にいえば、「インベーダーからゼビウス直前まで」ということができるだろう。「あらし」に登場しているゲームを見ると、まさにゲームの歴史そのものでもあるといえそうだ。ここでは、そのゲームの歴史を振り返ってみたいが、その前に、ざっと、「あらし」以前のゲームの状況をながめてみよう。

 ビデオゲームの前身は、なんといってもコンピューター・ゲームだろう。コンピューターそのものは、「あらし」が主役の「こんにちはマイコン」にも紹介されているとおり、アメリカで開発された真空管製のエニアックだ。
 このエニアックは、現在は、アメリカのマサチューセッツ州ボストンにあるコンピューター博物館に保存されている。東京の池袋西武デパートにも出張してきたのを見たことがあるが、まさに真空管だらけのモンスターのようなコンピューターだった。
 エニアックは、大砲の砲弾がどのように飛ぶかを調べる弾道計算用に開発された。つまり軍事用のコンピューターであり、砲弾の飛び方をシミュレートするマシンでもあったというわけだ。
 やがて、IBMなどの大型コンピューターがビジネスの世界で活躍するようになるが、最初のコンピューター・ゲームも、大型コンピューター用のものだった。「スペースウォー」というシューティング・ゲームが、1962年に、ボストンのマサチューセッツ工科大学の学生、スティーブ・ラッセルによって作られている。
 しかし、このような大型コンピューターでゲームをするのは、問題のある時代だった。コンピューターの値段がバカ高いから、ゲームなどに使うとヒンシュクを買うことになった。コンピューターを買った会社は、もとをとるために、24時間コンピューターを使おうとした。自分の会社で使わない時間は、よその会社にコンピューターを貸すタイム・シェアリング・サービス(TTS)というビジネスを始めるようにもなった。それだけコンピューターの値段が高かったからだ。
 おまけに、エアコンの効いた涼しい部屋でないと、まともに動かず、扱いどらい機械でもあった。こんな大型コンピューターだったが、いま20万円くらいで売られているパソコンの性能に負けていたのだから、技術の進歩というのはすごいものだ。
 コンピューター・ゲームが個人でも楽しめるようになるには、やはり、マイコンの登場を待たなければならなかった。
★元祖テレビゲームは?
 マイコンは、いまでこそ、電気釜や掃除機、ビデオやテレビ、ラジカセなどにまで入っているが、1970年代に登場したときは、高級なプログラムもできる電卓用に開発されたものだった。
 最初は4ビットのものが登場したが、すぐに8ビットのものが登場してくる。そして、インテル社の8008というマイコンチップが登場すると、これを使ったマイコンの組み立てキットがマニア向けに発売されるようになった。MITS社という会社が発売した「オルティア」というマイコン・キットがその第1号だ。このマイコンで動くBASICを開発したのが、当時、ハーバート大学の学生だったビル・ゲイツ。彼は、その後、MS−DOSやWindowsの開発元として知られるマイクロソフト社を始め、いまでは全米一の富豪となっている。
 その少し前、マイコンチップを使った初のアーケード・ゲームマシンがアメリカに登場していた。アタリ社が開発し発売した「ポン」というゲームだ。
「ポン」といってもピンとこないかもしれないが、早い話しが「テニスゲーム」のこと。1人のときはマイコン相手に、2人のときは対戦モードで、テーブルに埋め込まれた画面の中のテニスコートの中を飛んでくるボールを、ダイヤルで操作するパドルで打ち返すだけのゲームだった。
 ゲームセンターや喫茶店に置かれた元祖テーブル型ビデオゲームともいえるだろう。
 このテニスゲームの前にも、「スペースウォー」というゲームがあったのだが、これは、ほとんどヒットせず、テニスゲームに元祖ビデオゲームの座を奪われることになった。
 ちなみに、「ビデオゲーム」というのはアメリカで使われていた言葉。日本では、スペースインベーダー」以降もずっと、「テレビゲーム」という言葉が主流だった。
 このゲームはアメリカでもヒットし、このゲームを開発したアタリ社のノーラン・ブッシュネル社長は、サクセス・ストーリーの主人公になる。
 アタリという社名は、ゲーム好きのブッシュネル社長が、囲碁の「当たり!」という用語からいただいたもの。後にアタリ社を映画で有名なワーナー・ブラザーズ社に売却した後は、「テンゲン」というゲームの会社を作る。この「テンゲン」も囲碁の用語からきたものだ。

★マイコンから生まれたゲームたち
 日本で最初のマイコン・キットとなるNECの「TK―80」が発売されたのは、1976年のこと。東京の秋葉原に今でもある「ビット・イン」というマイコン専門店が誕生し、マニアたちが押し寄せることになるが、この頃のマイコンは、電卓用の発光ダイオードを光らせるのが精一杯だった。ビットインでは、HOゲージの鉄道模型のコントロールをしたり、テレビ画面の的に向かって光電銃を発射して得点を競うゲームのデモをしていたが、そんな装置を揃えるには、エレクトロニクスの知識と数十万円のお金が必要だった。
 おまけに、プログラムを組むには、数字とアルファベットを組み合わせた16進数の記号を組み合わせたマシン語の知識が必要だった。これでは、とてもふつうの人では手が出ない。そこで登場してくるのが、アメリカでも流行し始めていたBASICというプログラム言語の移植だった。
 やがて、TK―80に接続して、テレビに文字を映せるようにしたオプション装置などが、NEC以外の会社から次々と発売されるようになる。プログラム作りが簡単なBASICを使いたいというのが、この頃のマイコンマニアの夢で、BASICの基本プログラムが「I/O」という雑誌に、ソノシートの付録でついたりもした。
 続いてNECからも、TK―80でBASICを使えるようにするための「COMPO BS」「TK―80BS」などが発売されてくる。1977年のことだ。
 この年、アメリカでは、「アップルII」というパソコンが産声をあげていた。テレビにつないでカラーの文字や記号を映すことができた。そのほかにも、タンディの「TRS―80モデル1」、コモドールの「PET2001」などが登場してくる。どれもフルキーボードというタイプライター型のキーボードを持ち、アルファベットと数字を打ち込むことができるようになっていた。
 こんなパソコンでは、最初に、ポーカーやハンギング・オンといった簡単なゲームが登場してきた。もちろんテニスゲーム風のものもあった。しかし、ボールは「*」の記号を代用するような、チャチなゲームがほとんどだった。
 そんな中で、最初にゲームフリークたちの心をとらえたゲームが「スタートレック」だった。テレビでヒットしたSFドラマをもとにしたゲームで、宇宙船スタートレック号が、レーダーで敵のクリンゴンを探しながら攻撃を加えるゲームだった。
 油断すると敵の攻撃を受けてやられてしまう。攻撃するときも、方位やエネルギーの量をまちがえると、敵を撃墜できない。
 そして、ひとつの空間で敵をやっつけると、別の空間にワープして、また新しい敵を求めていく……。途中でやられてしまうと、パソコンから、「キャビンボーイに格下げだ!」といったメッセージが出てきた。
 このスタートレックは、アメリカ生まれで、最初は、アメリカ製のパソコンでしか動かなかった。東京には、1回100円で、アップルIIを使ってスタートレックをやらせてくれるマイコンショップ(まだパソコンショップではなかった)まで登場した。1977〜8年頃のことだ。
 このスタートレックやりたさに、何十万円もしたアップルIIなどのアメリカ製パソコンを買うゲームフリークもいたほどだ。
 そして、シャープMZ80K、NEC・PC―8001などの日本製パソコンが登場してくると、スタートレックを筆頭とするアメリカのゲームの移植が流行した。
 SFテレビ映画の「スタートレック」は、小説も人気を呼び、その後、映画で復活して、大ブームを呼ぶが、この「スタートレック」のファンたちは、「トレッカー」と呼ばれた。そのトレッカーたちが、マイコンゲームの普及に一役買っていたのはまちがいないだろう。
 同じ頃、市販のゲームプログラムも登場してくるが、そのプログラムはカセットテープに入っていた。フロッピーディスク・ドライブも何十万円もしており、貧乏なゲームフリークたちは、カセットテープで我慢するしかなかった頃だ。そのカセット代もけちるユーザーが多く、東京の秋葉原や大阪の日本橋では、再生カセットテープが人気を呼んだ。
 ゲームは、ポーカーや五目並べ、オセロなどの昔からあるゲームが多かった。パチンコやドライブゲームなどのアクションタイプのゲームは、BASICのプログラムでは動きが遅いため、マシン語やアセンブラでプログラムが書かれるようになった。そのために16進数という面倒な数式を覚えたマニアも多かった。
「ゲームセンターあらし」の幻の第1回目が「コロコロコミック」に掲載されたのは、こんな時代だったのだ。

★ブロックくずし
「コロコロコミック」本誌に「読み切りマンガ」として登場した「ゲームあらし」は、子供たちの支持を得ることになるが、その第1回目に登場したゲームが「ブロックくずし」だった。
 ブロックくずしは、テニスゲームと同じように、パドルを使ってボールを跳ね返すゲームだ。そのボールで、画面の向こう側に並ぶブロックを崩していく。
 ボールがうまくブロックの裏に抜けると、壁とブロックとのあいだをボールが激しく往復して、ブロックがどんどん崩れていった。この状態を、本家のアメリカでは「ブレイクアウト」と呼んだ。これがそのままゲームの名前にもなっていたのだ。
 このブレイクアウト=ブロックくずしも、「ポン」を発売したノーラン・ブッシュネルのアタリ社の製品だ。しかし、この頃はビデオゲームに関する著作権もあいまいで、アメリカでも日本でも、多くのコピー商品が出まわった。
 テニスゲームあたりから、ゲームマシンが喫茶店にも入るようになっていたが、このブロックくずしが、喫茶店のゲームセンター化を加速した。それまでは、ゲームセンターも盛り場にしかなく、競馬ゲームやスロットルマシン、コイン落とし、ピンボールといった古典的なゲームマシンが中心だった。ギャンブル場の雰囲気があり、ふつうの少年には、入るのがためらわれたものだ。
 幻の第1回目の「ゲーセンあらし」には、このブロックくずしが登場する。大文字さとるがプログラミングした特製ブロックくずしだ。
 初期の頃のさとるは、マイコンを自在に操る天才プログラマーで、さとるの作ったゲームに、あらしが挑むというパターンになっていた。
 このブロックくずしが、まもなくやってくるインベーダーブームへの序奏曲となったのはまちがいないだろう。
 ブロックくずしは、ダイヤル式のコントローラーで、パドルを動かし、飛んでくるボールを跳ね返しては、ボールをブロックにぶつけていくゲームだったが、いくつかの高得点を上げるためのテクニックがあった。それには、まず、ボールの跳ね返り方を知る必要があった。
 ボールが、左上から飛んできた場合、パドルの左半分で受けると、左上に跳ね返り、パドルの右半分で受けると、右半分に跳ね返っていくのだ。
 さらに、ボールを受ける回数が、ある回数に達すると、ボールは、そのスピードや角度を変えた。突然、スピードが早くなったり、角度が変わったりするので、それに対応するのが大変だったが、100円硬貨を投資しているうちに、そのパターンも読めてきたものだ。
 パドルも、ダイヤルを素早く回して、高速で移動させると、ボールをパドルの上で滑らせるような状態にすることもできた。
 そんな技を駆使して、ブロックの右下、または左下を集中して崩していき、ボールをブロックの裏側に入れるのが鉄則だった。
 ブロックの裏側にボールが入れば、向こう側の壁とブロックのあいだでボールが跳ね返り、勝手にブロックを「ブレイクアウト」してくれるからだ。
 ブレイクアウトしたときの快感は、なんともいえないものがあり、ゲーマーたちは、その快感のために、パドル操作の腕を磨いたものだった。
 しかし、ゲームセンターや喫茶店のブロックくずしのマシンも、メンテナンスが悪いせいか、パドルを動かすダイヤルがグラグラになっているものが増え、ゲーマーたちを興ざめさせてしまうことになった。
 その頃、テニスゲームの「ポン」、ブロックくずしの「ブレイクアウト」を開発したノーラン・ブッシュネルが、家庭用テレビゲームマシン「VSC」を発売する。1977年のことだった。
 このVSCは、カセットになったゲームソフトを買えば、家庭のテレビでゲームが楽しめるものだ。ファミコン・タイプのゲームマシンの元祖といってもいいだろう。
 このVSCはアメリカで大ヒットし、1982年には累積販売数が1千万台を突破する。アタリ社の創始者ノーラン・ブッシュネルは、アタリ社を、映画産業大手のワーナー・ブラザーズ社に売り、その売却益で億万長者になる。彼は、その資金をもとに、ピザハウスのチェーンを始める。
 このピザハウス・チェーンでは、ピザが焼き上がるまでのあいだ、レジでもらったコインを使って、ビデオゲームが楽しめるようになっていた。また、食事のあいだは、コンピューター制御のロボットのミュージカルが楽しめるようになっていた。しかし、肝心の味のほうが、いまひとつで、大人の客が足を運ばなくなり、長続きしなかった。
 ブッシュネルは、その後、再びゲーム会社を始め、その会社にテンゲンという名前をつけた。ワーナー・ブラザーズが買収したアタリ社のほうは、VSCでヒットを続けていたが、つまらないソフトが増えるなどして、ユーザーにそっぽを向かれ、売り上げが激減。経営状態も悪くなり、やがて、日本のナムコに買収されることになった。ファミコン、スーファミでヒットを飛ばす任天堂が、ソフトの管理を厳しくしたたのは、アタリ社のVSCの失敗を教訓にしたからだといわれている。

★スペースインベーダー
 ゲームセンター用のアーケードゲームで、日本中を大フィーバーに巻き込んだ最初で最後のゲーム――それが「スペースインベーダー」だ。ゲームの解説本が出たのも、このスペースインベーダーが最初ではなかったろうか。
 画面の中に並んだインベーダーを、左右に動くビーム砲を使って撃ち落とすスペースインベーダーが、タイトーというメーカーから発売されたのは、1978年の秋。「ゲーセンあらし」での初登場は、1979年「コロコロコミック・春の増刊号」のことだった。以後、「ゲーセンあらし」には、バリエーションを変えながら、第6話目にあたる「激闘!! 巨大マシーン」の巻(第1巻P69〜)まで、メインの対戦機種として登場する。
 スペースインベーダーは、78年に登場した後、盛り場のゲームセンターや喫茶店で人気となっていたが、すぐに全国規模の大フィーバーとなる。雨後のタケノコのように、日本中のあちこちにゲームセンターが出現してくるまでに、そんなに時間はかからなかった。
 しかし、このスペースインベーダーも「ゲーセンあらし」の第3巻目の「決定! TVゲーム世界チャンピオン」の巻では、あらしにも、「いまやテレビゲームの古典といわれるスペースインベーダー」といわれてしまっている(第3巻P12)。この巻は、1980年の「コロコロコミック・夏の増刊号」に掲載されたもので、冒頭にも「1980年8月1日」というナレーションが出ている(第3巻P7)。
 また、すでに第1巻目に、「スペースインベーダー・パートII」の紹介が出ている。コミックスの第1巻目が発売された1980年1月の時点では、すでに、元祖スペースインベーダーのブームも峠を越えていたことになる。
 スーペースインベーダーは、製造がまにあわないほどのブームになり、ニセモノもたくさん出現した。ゲームセンターや喫茶店では、スペースインベーダーをプレイしている人の後ろに、長い順番待ちの列ができるほどだった。後ろで待つ人は、プレイ中の人の背中に向かって、「早く終われ、早く終われ」と呪いをかけたものだ。
 そんな呪いのプレッシャーを背中に受けながらプレイするには、図太い神経が必要だった。また、ギャラリーが多いため、初心者は、人の少なくなる早朝や深夜にゲーセンや喫茶店に出かけ、100円硬貨をテーブルに積み上げて、必死に練習したものである。
 日本中にインベーダーの音があふれ、100円硬貨が不足するという事態まで巻き起こし、日本銀行が調査したほどだったのに、その大ブームは、1年ほどで消滅してしまったのだ。日本人は、熱しやすく冷めやすい国民性を持っているといわれるが、スペースインベーダーも、その典型だったのかもしれない。
 スペースインベーダーは、どんなゲームだったのか。
「スペースインベーダーはテレビ画面に浮かぶ五十五個のインベーダーを、ビーム砲で撃ち落とすゲームである。得点は、たて一列九十点、合計九九〇点。一五〇〇点をこすとビーム砲が一門ふえる。しかし、画面上空を飛ぶUFOを撃ち落とさなければ、高得点を上げるのはむずかしい」(第1巻・P8)
「ゲーセンあらし」には、このように説明されている。スペースインベーダーには、いろいろな秘技があったが、最初に有名になったのが、UFOの落とし方だった。
「ゲーセンあらし」にも、「スペースインベーダーで高得点をあげるには……」「ビーム砲の最初の二十二発めまでに左か右の四列をすべて消し、UFOの出現を待つ!」(第1巻P10)とある。
 次の23発目のビーム砲でUFOを落とすと、最高得点の300点になった。
 さらに「そのあとは、十四発インベーダーを撃っては、十五発めごとにUFOを撃ち落とす。十五発めに落としたUFOが三百点になる!」と説明されている。(第1巻P11)
 最初の23発目、次からは15発目ごとにUFOを撃つと300点になるのは、最初からプログラミングされていたものだ。
 だが、このスペースインベーダーには、メーカーも予期せぬバグが潜んでいた。インベーダーが最下段までおりると、そこから発射されるミサイルは、効果がなくなってしまうのだ。ビーム砲の砲台にミサイルが当たっても、砲台は無事だった。
 そこで生まれたのが有名な「ナゴヤ撃ち」というインベーダー攻略法だ。インベーダーの動きが早くなる第3面目をすぎてからは、インベーダーが最下段までおりるのを待っては、不死身のレーザー砲で、一気にインベーダーを撃破する必殺技だった。ただし、一発でもミスすると、とたんに、ガガーンとインベーダーに侵略されてしまうので、タイミングをつかむまでの慣れが必要だった。
 これは、名古屋のゲーマーが発見し、そこから全国に広まって、「ナゴヤ撃ち」という名前がついたといわれているが、その根拠は定かではない。「ナゴヤ撃ち」という名前がつく前から、東京でもこの必殺技は知られており、ゲーセンで使うゲーマーがいたからだ。
「ゲーセンあらし」にも、あらしが、「インベーダーが最下段まで下がっても、あせることはない」「陣地に侵略される直前に、連続して撃つ必殺・不死鳥(フェニックス)!」と叫びながら、ナゴヤ撃ちをしているシーンがある。(第1巻P12)
 これは1979年の「コロコロ春の増刊号」に掲載された「必殺! つるぎの舞い」の中に出てくるシーンだが、翌1980年1月発売のコミックスには、「ナゴヤ撃ち」のやり方が説明されている(第1巻P68)。この間にスペースインベーダーが全国的にフィバーしているから、「ナゴヤ撃ち」の名前が広まったのは、この間のことかもしれない。
 このインベーダーがきっかけになり、どこの商店街にもゲームセンターができた。ほとんどがインベーダーだったため、インベーダーハウスと呼ばれたりもした。子供たちのたまり場となって社会問題化することにもなった。だが、ゲームセンターは、その後も生き延びて、しっかり街の風景として定着した。スペースインベーダーこそが、その功労者なのだ。
 スペースインベーダーは、「ゲーセンあらし」の中で、その後もたびたび登場するが、メインの対戦マシンとなったのは、最終回のみ。コミックスに関していえば、「インベーダーに始まり、インベーダーに終わった」ことになる。それだけ、「ゲーセンあらし」の中でも、スペースインベーダーは、大きなウエイトを占めていたということだろう。

★ギャラクシーウォーズ
 スペースインベーダーのフィーバーは、日本全国に伝染していき、社会問題にまでなったのに、ナゴヤ撃ちのような必殺技が知られていくと、急激にその人気を失なっていった。ゲーセンでも、ふつうに高得点を出しても、誰も驚かなくなって、足でプレイしたりする不届き者も出てくる始末だった。
 おまけにニセモノがはびこり、さらにスペースインベーダー・パートIIも出たが、すでに焼け石に水だった。
 それは「ゲーセンあらし」にも反映している。「月刊コロコロコミック」で連載が始まって以来、人気はウナギのぼりだったが、幻の第1回目から通算した第7回目には、もうインベーダーは姿を消している。
 そのかわりに出てきたのが、「ギャラクシーウォーズ」だ。しかし、スペースインベーダーは、テレビゲームの象徴として、あらしのかぶるインベーダーキャップに、その姿をとどめることになる。
 インベーダーにかわって登場してきたギャラクシーウォーズは、左右に移動する隕石のあいだをすり抜けて、上空にいるUFOを撃墜するゲーム。これもインベーダーのバリエーションのひとつといっていいだろう。
 敵のUFOは、ミサイルが当たる場所によって得点が変わった。また、インベーダーと同じように、ボーナス得点をもらえるUFOが出た。
 このゲームのポイントは、打ち上げたミサイルのコントロールだ。左右の方向を変化させるだけでなく、スピードの緩急をつけて隕石をかわさなければならなかった。
「ゲーセンあらし」への登場は2回だけだったが、必殺技「炎のコマ」を生んだ記念すべきゲームとなった。(「超秘技 炎のコマ誕生」の巻は第2巻P5〜)

★ギャラクシアン
 日本中にブームを巻き起こしたスペースインベーダーのおかげで、その後のゲームは、少しくらい面白いだけでは、見向きもされなくなるという厳しい時代を迎えることになった。
 そこに登場したのがナムコの「ギャラクシアン」だ。銀河にフワフワと浮かぶギャラクシアンたちは、それまでのインベーダーやギャラクシーウォーズが、縦と横の方向しか動かなかったのに対して、斜めに――それも曲線運動で動くのだ。
 背景の宇宙と、ギャラクシアンたちのキャラクターが別々に動くという点でも画期的なゲームだった。背景を流れるカラフルな星たちが、それまでのゲームと一線を画していた。ヒュルルルルルッという効果音もムードを盛り上げていた。
 あまりにもインベーダーが偉大な存在だったため、ゲームセンターは落ち目になる一方だった。その救世主になったのがギャラクシアンだといってもいい。
 ギャラクシアンが「ゲーセンあらし」に登場したのは「決戦! ギャラクシアン」の巻(第2巻P37)。さとるの誕生パーティーに一平太と出かけたあらしは、大豪邸のさとるの家でギャラクシアンと対面する。
 この頃は、マンガの中でもゲーセン用アーケードゲームが主流で、ゲーセンで遊べない子供たちのことを意識してか、ストーリーの中でゲームの解説が、しきりに行なわれている。マンガの中でも、あらしは、小学生のため、すでにゲーセンには出入りできなくなっていて、ギャラクシアンとの対面も、さとるの家が初めてだったという設定になっている。
「ううっ、ううう、ゲームセンターが立入禁止になってから、夢にまで見たギャラクシアンと、こんなところで会えるとは!」
 というあらしのセリフにも悲しいものがある(第2巻P46)。
「パンフレットでやり方だけは、おぼえてんだいっ!」と叫んだあらしが、ゲームのルールの説明もしていくというハウツー的要素も入っている(第2巻P48〜)。
 ギャラクシアンがメインの対戦ゲームになったのは、続く「殺されたって負けないぜ!」(第2巻P71〜)まで。この巻に出てくる総統ギャラクシアンの正体は、一平太いうところの「日本一えらい人!」(第2巻P105)だった。
 この人物は、ストーリーの中では明らかにされていないが、いったい誰だったのだろう? ヒントは続く「ア〜ウ〜」という覆面を脱いだ総統ギャラクシアンのセリフと、その髪型、顔の輪郭から、故大平首相だったことはまちがいないだろう。故大平首相は、お孫さんが、インベーダーゲームを持っていたはずで、話題になったこともあった。

★バルーンボンバー
「バルーンボンバー」は、空中を移動する風船から落下してくる爆弾を、列車砲で撃墜するゲーム。爆弾が風船に吊るされているときに落とすと100点だが、風船から落下してくるところを撃てば150点と高得点になった。  スペースインベーダーと同じタイトー製だが、そのフワフワとした感覚がのんびりしていたためか、インベーダーやギャラクシアンのようなヒットにはならなかった。そのせいか、「ゲーセンあらし」に、メインの対戦ゲームとして登場したのも「必勝!! TVゲーム地獄」の巻(第2巻P108〜)の1回のみだ。
★平安京エイリアン
「平安京エイリアン」は、パソコン用のゲームがアーケード機に移植された珍しいゲームだ。このゲームを開発したのは、東京大学TSGというパソコン研究会のメンバーで、パソコン雑誌「I/O(アイオー)」に発表された。
「I/O」という雑誌は、日本のマイコン・パソコン雑誌の草分け的存在で、スタート当初は、マイコン雑誌というよりも、エレクトロニクス・ホビー誌の色彩が強く、自動改札用定期券の磁気コードを読み取る実験など、現在の「ラジオライフ」のような記事が掲載されていることもあったという。それが、マイコン・ブームで、次第にマイコン専門誌となり、ソノシートにBASICプログラムを録音した付録をつけるなど、画期的な企画を続けていた。「I/O」「マイコン」「アスキー」の3誌が、いまも老舗のパソコン雑誌として健在だが、「I/O」は、他の雑誌が次第にパソコン情報雑誌化していく中で、ホビースト向け雑誌という姿勢を崩していない。
「I/O」という誌名は、最初、「/」が入らない「IO」という名前だった。マイコンが珍しい頃、その内容がわからない田舎の書店では、ポルノ雑誌のコーナーに並べられることがあり、「I/O」という名前になったといわれている。「IO」が、カタカナの「エロ」と読まれてしまうことがあったのだ。
 平安京エイリアンは、平安時代に京の町を守った検非違使(けびいし)が、侵入してくるエイリアンを穴に落として埋めるゲーム。検非違使は、現代の警察のような役割をしていたが、こんな日本の歴史に題材をとるところが、いかにも東大生らしいといわれたりもした。
 直木賞作家の高橋克彦氏は、浮世絵ミステリーやホラー小説、歴史小説を手がけるかたわら、多くの傑作伝奇SF小説を書いているが、その中のひとつ「総門谷R」の中に出てくる平安京のイメージは、どことなく平安京エイリアンに似ているところがある。ひょっとして、高橋氏も、このゲームのファンだったのかもしれない。
「ゲーセンあらし」に掲載された「平安京エイリアン必殺テクニック」も、「I/O」誌に掲載されたものを参照している。「秋葉掘り」「長野掘り(心臓掘り)」「荒川掘り」「隠居掘り」といった必殺技も、いまとなっては懐かしい技ばかりだ。あらしの炎のコマの表現もまだおとなしく、こまめに敵をやっつけているのが微笑ましい。

★ドラキュラハンター
「ドラキュラハンター」は、吸血鬼の館(やかた)から飛び出してくる吸血コウモリやドラキュラを、牧師の投げる十字架のブーメランでやっつけるゲーム。ドラキュラたちをやっつけながら、画面手前にいる眠れる美女を守らなければいけない。
 吸血鬼の館から出てくるドラキュラをやっつけながら、館の門が開いたときに、タイミングよく十字架のブーメランを館の中に投げ込むと、1面がクリアーになる。7面クリアーするごとに、館から吸血コウモリがうじゃうじゃと出てくるので、これをやっつけないといけない。十字架ブーメランの飛び方を把握しないと、うまくドラキュラやコウモリを倒すことができなかった。
 このドラキュラハンターがメインで登場するのは「恐怖! 夜霧の吸血鬼」の巻(第4巻P57〜)。深夜に街中に出現しては、ドラキュラハンターでゲームの対戦を挑むナゾの男ドラキュラが、サミーというサーファーの女の子を誘拐。サミーを人質にして、あらしにゲームを挑む。あらしは、「月面宙返り十字架撃ち(ムーンサルト・クロスアタック)」で勝利をおさめたが、ドラキュラの正体は、インベーダーキャップ欲しさの小学生だった。

★レッドタンク
「レッドタンク」は、「決定! TVゲーム世界チャンピオン」の巻(第3巻P5〜)に、ちょこっとだけ出てきたゲーム。プレイヤーは黄色い戦車(タンク)をコントロールし、画面のドットを消していくもの。敵の赤いタンクをやっつけると高得点になる。地雷を避けながらタンクをコントロールしないといけない――と、「ゲーセンあらし」第3巻P75には説明されているが、このゲームをプレイしたような記憶はあるものの、ほとんど印象に残っていない。

★ミサイルコマンド
「ミサイルコマンド」は、「地球を救え」の巻(第4巻P5〜)に初登場するセガのゲーム。空中から落下してくる敵のミサイルや爆撃機から、味方の都市を守るために、地上から迎撃ミサイルを発射して粉砕するものだった。
 それまでのアーケードゲームは、キャラクターが画面を移動するものがほとんどだったが、このミサイルコマンドは、敵のミサイルを破壊したときの爆発の様子などが、リアルに表現されていた。
 さらに、ダイヤルかレバーが主流だったコントローラーが、現在では、パソコンのマッキントッシュやサブノートPCで主流になっているボールマウスと同じ方式で、大きなボールを指やてのひらで転がすタイプになっていた。
 敵のミサイルは、空中で分裂するなど、複雑な動きをするため、迎撃ミサイルを爆発させてバリアーを張るなどの高等テクニックが要求された。
 斬新な技術を盛りこんだゲームだったが、マシンが大型で高価だったためか、大きなゲーセンでしかお目にかかれず、ヒットするまでには至らなかった。

★ムーンクレスタ
「ムーンクレスタ」の初登場は、「助けて! 運動会がこわいよ〜っ」の巻(第4巻P91〜)。目玉のような形をした「ゴールドアイ」や親玉の「メテオ」などのモンスターが、宇宙空間から攻めてくるギャラクシアン・タイプのゲームだった。
 敵のモンスターを撃滅すると、味方の宇宙船をドッキングさせることができ、逆噴射させながらドッキングに成功すると、ボーナス得点になった。
 レッドタンク、ミサイルコマンドなどと同じように、「ゲーセンあらし」の中では、ゲームの紹介のみにとどまっている。インベーダーのナゴヤ撃ち、平安京エイリアンの秋葉掘りのような必殺技の紹介がないのも、必殺技を開拓するまで追求されることがなかったゲームだったからかもしれない。

★パックマン
「パックマン」は、スペースインベーダー以来の大ヒットになったゲームだ。黄色い円形のパックマンが、モンスターの追跡をかわしながら、口をパクパクと開けたり閉じたりしながら、迷路の上のドットを食べて点数を積み重ねるようになっていた。パワーアップの実を食べると、モンスターたちが真っ青になって逃げ惑うようになる。このときだけパックマンは、モンスターを食べることができ、4匹連続で食べると1600点のボーナス得点を獲得することができた。
 迷路をたどる経路の研究が重ねられ、モンスターをパワーアップの実のそばにおびき寄せておいて、パワーアップし、モンスターをまとめて食べる方法など、多くの必勝パターンが編み出された。こうなると、もはや得点は問題ではなく、何面までクリアーするかが問題になった。必勝パターンを繰り返せば、体力と気力の続く限りゲームを続行できた。ただし、256面で打ち止めとなっていた。
 パックマンは、日本以上にアメリカで大ヒットし、「パックマン・フィーバー」というディスコミュージックのレコードがミリオンセラーになったり、たくさんのキャラクターグッズが発売された。
「ゲーセンあらし」では「TVゲームスパイ大作戦」の巻(第4巻P125〜)で初登場。この巻の後には必勝法も紹介されている(P178)。「ゲーセンあらし」には、その後も最終回まで、何度も登場しているが、それだけ人気があったということだろう。
 このパックマンは、その可愛いキャラクターのために女性や子供にも人気を集め、スーパーの店頭などにも進出した。インベーダーで市民権を得たテレビゲームではあったが、女性や子供にまでは認知されていなかった。テレビゲームは、このパックマンで、完全な市民権を得たともいえるだろう。

★トランキライザーガン
「トランキライザー」の「ゲーセンあらし」初登場は、「あらし対一平太、涙の対決」の巻(第5巻P107〜)。エレクトリック・サンダーが誕生した記念すべき回だが、トランキライザーガンの登場は、これ1回きりとなった。
 トランキライザーガンは、麻酔銃を持つハンターをコントロールしながら、ジャングルに潜む動物たちを捕獲していくゲーム。ヘビ、ゴリラ、ライオン、ゾウなどに麻酔銃を撃って眠らせ、トラックに積んでいくゲームだ。現在、このゲームがあったら、動物虐待だなどと抗議を受けることになるかもしれない。

★ゲーム電卓
「ゲーム電卓」は、計算機メーカーのカシオが発売したゲーム付き電卓だ。一番最初のゲーム電卓は、画面右から左に移動してくる数字を撃墜するゲームだった。撃墜するといっても、画面左端の数字を、照準ボタンを使って、敵の数字に合わせ、発射ボタンを押すだけのもの。敵の数字に画面左端まで攻め込まれると負けになった。
 敵の数字を撃墜する途中で、その合計が10の倍数になるたびに、「n」の形をしたUFOが出現。これを落とすとボーナスになった。
 仕事の合間の息抜きに使えるためか、それなりにヒットしたようで、その後も、ゲーム電卓IIやIIIが登場している。IIは「8」の字の横棒が欠けた敵キャラを、その欠けた棒を埋めるミサイルを発射して撃墜するものだった。IIIでは、液晶技術も進化したのか、人間のキャラが動くボクシングのゲームになっていた。
「ゲーセンあらし」にゲーム電卓が登場したのは「恋なんてぶっとばせ!!」の巻(第5巻P140〜)。あらしは、美人の転校生の山口聖子ちゃん(この名前が時代をしのばせる〔涙〕)を争って、大文字さとるにも負けない天才少年の戸符とゲーム電卓で争うことになる。10の倍数を狙うために算数の勉強をするが、勉強まったくダメのあらしには無駄な抵抗で、ついにボーナス得点のUFOは無視してスピードだけの勝負。この勝負で、あらしは、恋に燃えていたことなど忘れ、またゲーム熱に火がついてしまう。松田聖子ちゃんが本気で好きになってくれたのに、もうそれも目に入らないのだ。このゲームに対する一途なところが、子供たちの人気を呼んだのだろう。
 ゲーム電卓IIは「秋だ! ゲームだ! 合宿だ!」の巻(第9巻P142〜)に、「新型ゲーム電卓」として登場。このIIは、IIIと一緒に「赤ん坊帝国」の巻(第12巻P89〜)にも登場している。

★ディフェンダー
「ディフェンダー」の登場は、「天国を救え!」の巻(第6巻P5〜)。天国の神様が、地獄のエンマ大王とゲームで賭けをして、天国をエンマ大王にとられてしまい、その危機を救うために、天使のチルチルが、あらしに救援を求めにくる。このままでは、善人までもが、死んだ後に地獄に落ちてしまうからだ。
 あらしは、さとる、一平太とともに、死んでしまい、地獄に向かう。三途の川の渡し人や鬼たちとゲームで戦い、エンマ大王との最終決戦に挑むことになるのだが、墓場の墓石に仕込まれたディフェンダーでの戦いの相手は、なんと幽霊だった。
 この幽霊は、墓石落とし、鬼火の舞いなどの霊技で、あらしを苦しめる。だが、さとるが唱えた落語のジュゲムに苦しめられ、そのすきに、あらしが必殺技を連発して勝利をおさめる。
 このゲームは、画面上部に映るレーダーで、敵の接近を確認しながら、ミサイルやスマート爆弾で攻撃するもの。ワープや緊急加速、スマート爆弾など、スイッチが多いため、操作を覚えるのが大変だった。また、ミサイルコマンドと同じように、大型機だったために、大きなゲームセンターにしかなく、あまり普及はしなかった。

★クレイジークライマー
「クレイジークライマー」は、ビルの壁を上るゲームだ。2本のレバーで右手、左手を交互に動かしながらビルを上っていくのだが、途中で、ビルの窓から植木鉢が落とされたり、ゴリラがパンチを繰り出したり、コンドルが飛んできてウンチを落としたりといった妨害が出てくる。その妨害をかわして屋上まで上がり、ヘリコプターや気球につかまるとボーナス得点となり、次の画面に進むことができた。コンドルが飛んでくると、「シラケ鳥」の音楽が流れたりもした。
「ゲーセンあらし」の初登場は、コミックスでは「天国を救え!」の巻(第6巻P5〜)で、地獄の死神との戦いに使われているが、ゲームの解説が行なわれているのは、「意外!! トンメン大王のナゾ」の巻(第7巻P58〜)のほうだ。おそらく雑誌の発表時期は、こちらのほうが早かったのだろう。(「ゲーセンあらし」のコミックスは、雑誌の発表順にはなっていない)
「トンメン大王のナゾ」の巻に登場したトンメン大王の正体は、親ブタで、ゲーム歯医者に子ブタを人質(トン質?)にとられ、やむなく、あらしとクレイジークライマーで戦うことになったもの。「出っ歯危機一髪」(第3巻P113〜)で初登場したゲーム歯医者は、あらしの出っ歯ほしさに、その後もたびたび登場する変態がかったユニークな存在だった。

★ジャッジゲーム(ゲーム&ウォッチ)
「ジャッジゲーム」は、ファミコンやスーファミで一世も二世も風靡し続けている任天堂が、玩具マーケットに放った携帯ゲーム「ゲーム&ウォッチ」の初期のものだ。このような玩具店で販売されていた携帯型ゲームは、総称して「LSIゲーム」と呼ばれていた。
 画面にはプラカードとトンカチを持った2人の人間が出て、プラカードに表示される数字の大きいほうが、相手をトンカチで殴ることができるというもの。相手を殴ることができれば3点、相手のトンカチをよけることができれば2点を獲得することができた。数字が小さいのに相手を殴ってしまうと、マイナス5点となり、先に99点を獲得したほうが勝ちとなった。
 ゲーム&ウォッチは、小学生を相手に大ブームとなり、新作の発売日には、ドラクエのように、玩具店に行列ができるほどになった。
 だが、他のメーカーからも類似品が出るようになり、やがてファミコンが登場することによって、あっというまにブームは去っていった。
 ジャッジゲームの「ゲーセンあらし」への登場は、これまた「天国を救え!」の巻(第6巻P5〜)。エンマ大王とのメインゲームに、このジャッジゲームが使われている。アーケードゲームを押しのけて、ゲーム&ウォッチのゲームが主役になったのは、それだけ子供たちに人気があったからだろう。
 このゲーム&ウォッチの登場あたりから、次第に「コロコロコミック」は、マンガだけでなく、ゲームを中心とする小学生のためのホビー総合誌の色彩を強めていった。やがて、ファミコン、チョロQ、ラジコン、ミニ四駆、バーコードバトラーといった小学生のホビーが、「コロコロコミック」とのタイアップでブームとなっていったが、このようなホビーとマンガの合体は、「ゲーセンあらし」からすべてが始まったといってもいいだろう。嵐山光三郎氏が、「本の雑誌」に、「コロコロコミックは小学生の文芸春秋だ」と書いたのも、この頃のこと。小学生にとっては、「コロコロコミック」こそ、文化と生活を知るための総合情報雑誌だったのだ。

★ラリーX
「ラリーX」は、「死の猛特訓をたえぬけ!」の巻(第6巻P142〜)に初登場した。真空ハリケーン撃ちを初めて使った記念すべきゲームでもある。これもギャラクシアンやパックマンと同じナムコ製だった。
 ラリーXは、画面右のレーダーで、敵の車の位置を確認しながら、自分のラリーカーを、一部しか見えないコースマップの中を走らせて、コース上の旗を倒していくゲームだった。敵の車にぶつけられそうになったときは、煙幕を張ってスピンさせることもできた。
 このゲームは、その後も、たびたび「ゲーセンあらし」に登場するが、「絶対絶命、あらし大危機」の巻(第7巻P5〜)に登場する「ニューラリーX」のほうが、ゲームセンターでは人気を呼んだ。こちらは、燃料補給フラッグ(旗)が加わっていた。

★ルート16
 これも画面の中のコースマップを走る自動車のゲーム。「ゲーセンあらし」には、「絶対絶命、あらし大危機」の巻(第7巻P5〜)にチラリと出ているが、本格的な登場は、「ドクロ大帝の挑戦」(第8巻P5〜)だ。
 ラリーXとよく似たゲームで、16の迷路の中を、チェッカーフラッグや金ぶくろを通過しながらポイントを上げていくもの。敵のジャマーカーの追跡をかわしながら、燃料の切れる前に迷路のルートをクリアーしないといけなかった。
 このゲームでドクロ大帝と戦ったあらしだが、決着がつかず、潜水艦に乗って、スクランブルで勝負をつけることになる。

★スペースパニック
「スペースパニック」は、「空からきたライバル」の巻(第7巻P89〜)に登場し、鳥人の姿をしたホーク鷹野との対戦に使われたゲームだ。
 これは平安京エイリアンを縦に置いたようなゲームで、地下室を動き回るモンスターたちを、穴を掘って落っことすとポイントになる。ふつうのモンスターは、穴を1段分掘るだけで殺すことができたが、ボスは2段、ドンは3段分の穴を掘って落とさないと死なないようになっていた。穴の掘り方と埋め方がゲームのポイントになっていて、酸素がなくなるとゲームオーバーとなった。
 あらしは最初に、必殺技抜きで、ホーク鷹野とパックマンを戦ったが、落雷のためにゲームが中断し、伊豆大島の三原山火口で再試合をすることになる。鷹野は、そのタカのような目で、画面のキャラクターの動きをスローモーションのように見ることができる能力を持っていた。
 あらしは、それに対抗するために、部屋の中にミツバチの群れを放ち、1秒間に250回も振動するミツバチの羽根の動きを見極めようとする。だが、ミツバチに刺されて顔がデコボコになり、目が見えなくなってしまう。一平太にオシッコをかけてもらって、かろうじて片目だけは見えるようになるが、距離感がうまくつかめない状態で戦うことになった。
 フェアな精神の持ち主であるホーク鷹野は、あらしの顔を見て、必殺技ありでの対戦を提案し、ついに火口の上にかけた吊り橋の上での決戦が始まる。
 だが、そこに山嵐大作が登場し、あらしの吊り橋を切ってしまう。あらしは火口に落下し、そのまま死んでしまうかと思われたが、こんなことで死んでしまうあらしではない。真空ハリケーン撃ちで噴煙を巻き上げながらジャンプし、ゲームを撃破したのだ。
 このストーリーに代表されるように、「ゲーセンあらし」のマンガは、ゲームの内容に影響を受けたストーリーが次第に影をひそめ、ライバルたちとの戦いに的が絞られていった。ゲームに勝つためのノウハウが少なくなっていったのも、子供たちがゲーセンに行けないという状況が影響していたのだろう。かといって、ゲーム&ウォッチのような小型ゲームは、その後のファミコンなどとは違って、マンガのストーリーに影響を及ぼすようなパワーを持っていなかった。あらしのストーリーが、ライバルとの対戦を中心に展開していくのも、しかたないことだといえるだろう。

★マンホール
 これもゲーム&ウォッチの1機種だ。上下2段の道路に開いたマンホールに穴に、通行人が落ちないようにフタをするゲーム。人間の動きを読めるようになれば、最高得点の999点達成も時間の問題だった。
「ゲーセンあらし」では、「ゴキブリ大戦争」の巻(第7巻P142〜)に登場する。下水道の中で、ゴキブリと暮らすゴキブリ大統領と、このゲームを戦う。下水道の中のスクリーンに出る画面は、ゴキブリが作っているというカルトな設定になっている。
 ゴキブリが風で飛ばされてしまうために真空ハリケーン撃ちも使えず、ついにあらしは、出っ歯を伸び縮みさせてボタンをコントロールする。出っ歯撃ちというとんでもない技の誕生の瞬間だった。
★スクランブル
「スクランブル」が「ゲーセンあらし」に登場したのは、「ドクロ大帝の挑戦」の巻(第8巻P5〜)。世界征服をたくらむネオ・ドクロ党の首領、ドクロ大帝は、あらしのコピー人間を作って兵士にしたてようとたくらみ、あらしを誘拐する。
 あらしの能力を試そうとゲームで対戦したドクロ大帝は、あらしと戦ううちに、ゲーム戦士の本能に目覚め、「ただひとりのゲーム戦士として、あらしと戦う」ことになる。世界征服を信じてついてきた部下がかわいそうになってしまいそうだが、その部下までもが、「息づまる熱戦とは、まさにこのこと」と見とれてしまうのだから、部下のほうも似たりよったりなのだろう。
 このドクロ大帝との初の戦いで、クライマックスに使われたのがスクランブルだった。
 スクランブルは、ディフェンダー・タイプのゲームで、地上の敵の施設をロケットのレーザーガンと爆弾で攻撃するゲームだった。敵の燃料タンクを爆破すると、自分のロケットの燃料が増え、ゲーム時間が伸びるようになっていた。
 基地からはミサイルが打ち上げられてくるし、UFOやファイアーボールも攻めてくるので、それをやっつけながらの忙しいゲームだった。迷路も出てきて、ロケットをコントロールしながら、敵の施設を攻撃するという難度の高い攻撃が要求されたものだ。
 ただ、あまり熱中した記憶はないので、このゲームもさほどヒットしなかったのかもしれない。こうして見ると、横にスクロールするゲームというのは、あまりヒットしない宿命になっているようだ。

★スターレイカー
 このゲームが「ゲーセンあらし」に登場したのは、「ハンバーガー仮面登場」の巻(第8巻P142〜)1回だけだ。この回には、ゲーム電卓のところで紹介したゲーム電卓GAME・IIも登場している。
 スターレイカーの方は、ギャラクシアンやギャラガと同じタイプで、スペースシップで敵宇宙船をやっつけながら、敵の要塞を攻撃するゲームだ。要塞をやっつけると次の戦区に進めるようになっていた。

★アタックモグラ
 このゲームは、ゲーム&ウォッチと同じような携帯ゲームマシンとして登場したもの。オセロやバックギャモン、麻雀などの定番ゲームも、この頃から、携帯専用ゲームとして発売されるようになった。これらがゲームボーイの元祖であるともいえそうだ。
 アタックモグラは、画面の農夫をコントロールして、畑の中を進んでくるモグラの頭をたたくもの。叩かれたモグラは、頭に輪をつけて昇天する。攻撃に失敗して、モグラに足を噛まれると、農夫は救急車に運ばれることになる。
「ゲーセンあらし」には「戦え!! ゲーム戦士」の巻(第9巻P5〜)に登場。アマゾネスに変身したあらしの母のノーブラ・ボイン撃ちと、このゲームで戦うことになる。だが、水晶玉に閉じこめられていた弟とんがらしの一声で、母子の勝負は引き分けに終わった。

★パラシュート
 アタックモグラと同じく「戦え!! ゲーム戦士」の巻に登場するのが、これもゲーム&ウォッチのパラシュート。魔法と水晶の国、クリスタル・ワールドの主、ゲーム大天使との戦いに使われたのが、このゲームだった。ストーリーも舞台も対戦相手も派手な割りには、使うゲームのスケールが小さかったのではなかろうか。
 パラシュートは、空中のヘリコプターからパラシュートからダイブしてくるダイバーを、海上のボートを移動させてキャッチするゲーム。失敗するとダイバーはサメに食べられてしまうのだ。ゲームにはAモードとBモードがあって、Bモードでは、ダイバーがヤシの木に引っかかり、落ちてくるタイミングに時差が生じて、キャッチするのがむずかしくなっていた。

★パックリモンスター
「パックリモンスター」は、これもゲーム&ウォッチ・タイプのLSIゲームで、パックマンを縮小コピーしたようなゲームだった(このゲームは、エポック社の「パクパクモンスター」のことだろう)。
「ゲーセンあらし」では、「秋だ! ゲームだ! 合宿だ!」の巻(第9巻P142〜)に登場。ロープウェイからロープで宙吊りになり、谷底の岩肌に映るパックリモンスターを、野生の少女の金時娘と戦った。マンガへの登場は、これ1回きりだ。
 これらの玩具ゲームは、当時のハイテク事情の関係から、ゲームを奥行きあるものにすることもできず、慣れてしまえば、同じプレイの繰り返しで、すぐに飽きられる運命にあった。マンガへの登場回数が少ないのも、そんなことが影響してくるのだろう。

★スペースシーカー
 このゲームは、「グレートタイフーン破れたり!!」の巻(第10巻P5〜)に登場している。P46には、「これは、地球の地図に現れた、敵の空軍基地にドッキングし、敵機やミサイルを破壊するゲームだ。パターンが進むにつれてむずかしくなるぞ」という解説もあるのだが、メンバー一同、このゲームをプレイしたという記憶がない。おそらく、どこかのゲーセンで出会っているとは思うのだが、限られた小づかいの中では、プレイするゲームも限定されていたので、こんなゲームも出てくることになる。

★フロッガー
「フロッガー」は、カエルをコントロールして、車が走る道路を横断し、川に流れる丸太やカメの甲羅の上を飛び跳ねて、自分の巣に戻るゲーム。ワニが隠れていたりするから注意が必要だった。また、子ガエルをオンブするか、アブを食べるとボーナス得点がもらえた。
「ゲーセンあらし」への登場は、「突撃!! ゲーム要塞救出作戦!!」の巻(第10巻P65〜)と「熱闘!! ゲーム甲子園」の巻(第11巻P5〜)の2回。第11巻のP44にゲームが紹介されている。

★ヘルメット
 これもゲーム&ウォッチの一種。「ゲーセンあらし」には、「突撃!! ゲーム要塞救出作戦!!」の巻(第10巻P65〜)に登場した。
 あらしは、1981年大晦日の「ゆく年くる年ゲーム大会」で優勝するが、そのゲーム画面に、誘拐された父ちゃんの姿が映し出される。あらしは、さとる、一平太、ゲーム歯医者、ホーク鷹野とともにアマゾン奥地のゲーム要塞に、父ちゃんを救出に向かう。
 アマゾン川でフロッガーを撃破した後、砂漠のアリ地獄のような穴の中に出現したのが、このヘルメットだった。空から降ってくるペンチやトンカチ、バケツなどにぶつからないようにして、左側の家から右側の家まで駆け抜けるゲームだ。
 さらに、この種のゲームには珍しく、裏技の使えたゲームだった。プログラムのバグなのか、あるいは、その後のファミコンなどの裏技ブームにつながる「意図された隠しコマンド」だったのかは不明だが、特定のボタンを同時に押すと、画面に2人の人間が登場し、1人目は、空から降ってくる工具が当たっても死ななくなるのだ。
 マンガでも、「きみにもできる必殺ゴースト人間」として、この裏技が紹介されている(第10巻P94)。
 このヘルメットの後で戦うのは、なんと、ルービック・キューブに埋めこまれた45種類のテレビゲーム。あの大人も子供もカチャカチャと色を合わせるのに熱中したルービック・キューブが、こんなところに登場している。ルービック・キューブは、1面につき9マスずつ、合計54マスがあったが、このマンガでは、下面が隠れているため、計45種類のゲームとなっていた。ちなみに、ハンガリー生まれのルービック・キューブの日本初登場は、1980年7月25日のことだった。

★クラッシュローラー
「突撃!! ゲーム要塞救出作戦!!」の巻(第10巻P65〜)のクライマックスで、スペースシャトルに乗って、宇宙空間でメカニカ元帥と対戦するのが「クラッシュローラー」だ。
 空気のない宇宙空間のため、あらしは、真空ハリケーン撃ちやグレートタイフーンを使うことができず苦戦する。だが、地球の向こうから、1982年の初日の出となる太陽が顔を出したとき、あらしは、宇宙のチリを集めてレンズにし、太陽の光を集めてレインボーバズーカを放つ。これでメカニカ元帥との対戦に勝利をおさめたのだった。
 このシーンに、クラッシュローラーの画面も登場しているのだが、残念なことに、このゲームは記憶にない。おとなしそうな画面なので、トライしなかったのかもしれない。テレビゲームの歴史について書かれた本や雑誌の記事を見ても、名前さえ知らないゲームがたくさんあるのも事実。この頃には、すでに登場していた元祖ストリート・ゲーマーたちなら知っているかもしれないが……。

★ドンキーコング
「ドンキーコング」は、任天堂から発売されたゲーム史上において記念すべきアーケードゲームだ。というのは、このゲームに初めて、あのファミコンの代名詞ともなったスーパーマリオの原形、マリオがキャラクターとして登場するからだ。
 ドンキーコングは、お姫さまをさらったキングコングのような巨大ゴリラの名前で、鉄骨の斜面の上からタルを転がして、お姫さまを助けにいくマリオの邪魔をする。プレイヤーは、マリオをコントロールして、タルが転がってくると、ジャンプでかわり、トンカチを手にすると、これでタルを壊すことができた。
 さらに画面が進むと、迷路のようになった鉄骨の上をジャンプで移動しながら、お姫さまを助けにいくようになっている。お姫さまがいるのは、4面目の高さ100メートルの鉄骨のやぐらの上だった。スーパーマリオ・ブラザーズも、ジャンプというアクションを連続させながら、ピーチ姫を救出しにいくというストーリーになっていたが、その原点のゲームが、このドンキーコングなのだ。
 任天堂は、ゲーム&ウォッチでこそヒットを飛ばしたものの、アーケードゲームのほうでは、オセロゲームのような地味なものしか発表していなかった。このドンキーコングが、初のアーケードゲーム機でのヒット作となったのではないだろうか。そして、ドンキーコングは、パックマンと同じように、日本よりもアメリカでヒットすることになった。キャラクターのドンキーコングやマリオというネーミングなども、元もと、アメリカ市場のために作られたものだとされている。
「ゲーセンあらし」への初登場は、コミックスでは「怪奇!! のろい屋敷」の巻(第10巻P135〜)。ゲームの解説は「熱闘!! ゲーム甲子園」の巻(第11巻P76)に紹介されている。ドンキーコングは、子供にも人気があったのだろう、「ゲーセンあらし」でも、最終回に至るまで、たびたび登場するゲームとなった。
 なお、この「ドンキーコング」は、ゲーム&ウォッチにもなって発売された。

★ワープ&ワープ
「ワープ&ワープ」は、ナムコから発売されたアーケードゲーム。ファイターをコントロールして、ベロベロと呼ばれる敵キャラを、ライフルや時限爆弾でやっつけるものだった。ベロベロには黄色、オレンジ色、赤色の3色あり、同じ色のベロベロを3匹連続してやっつけると、カエルやクラゲの姿をしたミステリーベムと呼ばれる敵キャラが登場。これをやっつけるとボーナス得点になった。
 ふつうの画面ではライフルを使い、パラレルワールドと呼ばれる迷路のマップの中では、時限爆弾を使うようになっていた。時限爆弾は、爆発までに時差があるため、タイミングを誤ると自爆する危険性があった。
 これもドンキーコングと同じように、コミックスでは、「怪奇!! のろい屋敷」に巻に初登場しているが、「熱闘!! ゲーム甲子園」の巻に解説があるところをみると(第11巻P22)、雑誌での登場は、こちらのほうが先だったのだろう。

★クイックス
「クイックス」の「ゲーセンあらし」への登場は、コミックスでは「さらばさとる!?」の巻(第11巻P92〜)が最初。ゲームの紹介は、「ゲーム怪獣サラマンダー」の巻(第12巻P18)にある。
 このゲームは、光のビームを高速で移動させながら、宇宙空間に自分の陣地を広げていく陣取りゲーム。おじゃま虫や電磁波の妨害をかわしながら、全画面の75%以上の陣地を獲得すると、次の画面に進むことができた。
 だが、陣取りをするだけのゲームのため、すぐに飽きてしまい、熱中するまでには至らなかった。

★カウボーイゲーム
★ガンファイター
「カウボーイゲーム」と「ガンファイター」というゲームが、「デッパタウンの決闘」の巻(第13巻P87〜)に出てくるのだが、これらのゲームも記憶にない。架空のゲームだったのか、それとも実際にあったゲームなのかも定かではない。誰かわかる人がいたら教えてほしい(作者も記憶にないそうだ)。

★サブマリン・コマンダー
★ドラキュラモンスター
★コズミックモンスター
 この3種のゲームも「ゲーセンあらし」に登場しているが、いずれもメンバー一同、なんとなく見たような気はあるのだが、はっきりとした記憶がない。我われが、すでに、「ゲーセンあらし」を卒業しつつあったときだったせいかもしれない。ちなみに、作者も覚えていないそうだ。
 これらのゲームが「ゲーセンあらし」に登場するのは、第14巻あたりだが、第14巻の初版の発売が、昭和58年(1983年)6月25日。第15巻は同じ年の9月25日になっている。
 1982年の春から秋まで、「ゲームセンターあらし」はテレビアニメになり、日本テレビ系で放映された。それに合わせて、小学館の学年誌でも「ゲーセンあらし」の連載が始まり、アニメの放映に合わせたアニメ絵本なども多数出版された。
 それによって、あらしのファンの年齢層が、小学校低学年に下がり、本来のファンであった小学校高学年の男子の気持ちが離れていってしまったのではなかろうか。
 1983年に入ると、「ゲーセンあらし」は、「別冊コロコロコミック」での連載が終了し、すがや氏は「マイコン電児ラン」というマイコンマンガの連載を開始している。テレビアニメの放映終了によって、「あらしの時代」は、すでに終わっていたのかもしれない。
「ゲーセンあらし」は、「コロコロコミック」本誌での連載は続いていたが、こちらも1983年の秋には連載が終了し、あらしたちは、宇宙の彼方へ飛び去っていった。
 この最終回に象徴されるように、「ゲーセンあらし」はストーリーが宇宙規模になり、どんどん肥大化して、街のヒーローではなくなっていた。同時に、子供たちのゲーセンへの立ち入りも、ますます制限されるようになっており、家庭用のカセット式テレビゲームか、ゲーム&ウォッチ・スタイルのポケットサイズのゲームで遊ぶしかなくなっていた。しかし、一度、アーケードゲームの面白さを知ってしまった子供たちに、それらのゲームが見放されるのも早かったのだ。
 この頃、ゲームを楽しんでいた子供たちの中からは、マイコン、パソコンへの転向者が出るようになっていた。それは、大人の社会のOA(オフィス・オートメーション・ブーム)を反映したものだったが、BASICのプログラムを作ることができる8ビットのパソコンが、子供たちにも手の届くところまできていたのだ。
 そんなときに出版されたのが、「ゲーセンあらし」のキャラクターを使ったマイコン入門書「こんにちはマイコン」だった。この本は、NEC・PC―6001をモデルにしたものが上下2巻で出版され、その後、MSX2をモデルにした改訂版も出版された。
 いま20代前半のパソコン青年たちの多くが、この「こんにちはマイコン」によってパソコンの洗礼を受け、コンピューター業界に多数就職しているところを見ると、この本の影響は、かなり大きかったのだろう。
「こんにちはマイコン」や「マイコン電児ラン」で、作者のすがや氏が、パソコン指向を強めていったことも、「ゲーセンあらし」のパワーを失わせる一因となったのかもしれないが、また、この頃は、テレビゲームの状況も大きく変化しているときでもあった。

★「ゲーセンあらし」以降のゲーム
「ゲーセンあらし」が終了した1983年は、ゲーム界には2つの大きな事件が起きている。
 その事件の1つは、ナムコの「ゼビウス」の登場だ。
 ゼビウスは、フルカラーで、しかも立体的なグラフィックを駆使した革命的ともいえるゲームだった。このゲームが、面白いゲームが登場せず、すたれかけていたゲーセンに、再び若者たちの足を向けさせる原動力となった。また、このゲームは、この頃もまだ残っていた、「テレビゲーム=不良の遊び」という意識を払拭するものだった。ミュージシャンやデザイナーといった最先端の職業につく人たちまでが、このゲームに熱中し、ついには、文化として語られ、哲学にまで昇り詰めていくことになったのである。
 それまで、メーカーのゲーム・デザイナーたちが、マスコミなどに登場することは少なかったが、ゼビウスの作者、遠藤雅伸氏は、ゲーム作者のスターとして脚光を浴びることになる。遠藤氏が、ゼビウスを製作するにあたり、長編SF小説のストーリーを書いてあったというのも有名な話。1983年8月15日発売(奥付)の「こんにちはマイコン2」にも、遠藤氏が登場し、あらしにゲームのできるまでを説明しているが、遠藤氏は、その後フリーとなり、ファミコンのゲーム作りに関っていくことになる。
 ゼビウスは、ゲーセンでは、パックマン以来とも思えるほどの大ヒットになったが、その内容は、小学生には太刀打ちできるものではなくなっていた。さらに、ゲーセンは、高校生、大学生以上の若者の娯楽場と化していて、小学生には縁のない場所になりつつあった。小学生がゼビウスを楽しむことができたのは、ファミコンに移植されてからだが、ファミコン版のゼビウスも、大人のユーザーのほうが多かったのではなかろうか。
 このような状況下において、「ゲーセンあらし」も、子供たちとは縁の薄くなっていた、ゼビウスを主流とするアーケードゲームの情報を入れるわけにもいかず、かといって、家庭用ゲーム、玩具ゲームでは、ストーリーにマッチした内容のものがなく、苦闘することになったように思える。「ゲーセンあらし」でも、第14巻、第15巻あたりになると、ゲームをプレイしているシーンはあるものの、そのゲームの内容が紹介されていない回が増えているのだ。すでに、「ゲーセンあらし」のマンガの中からは、「ゲーム情報の伝達」という「情報マンガ」としての役割は消え失せていたといってもいいだろう。
 こうして「ゲーセンあらし」は、衰退への道をたどっていったのだが、ゼビウス登場にわずかに遅れた、もう1つの事件は、本当なら、「ゲーセンあらし」の救世主になるはずだった。
 その第2の事件こそ、「ファミリー・コンピューター」――つまり「ファミコン」の登場だった。


★ファミコンの登場
 ファミコンが発売されたのは1983年7月のことだった。
 ファミコンは、その後、スーファミに至るまで、日本の家庭用ゲーム市場を席巻することになるが、発売当初から、大人気だったというわけではない。家庭用ゲームの市場は、MSXなどの家庭用パソコンも含めて、乱戦状態にあったからだ。
 ファミコンを発売した任天堂も、すでに1977年には、カラーテレビゲームという家庭用テレビに接続して遊ぶ家庭用ゲームマシンを発売していた。このカラーテレビゲームには、6種類のゲームができるものと15種類のゲームができるものがあり、それぞれ「カラーテレビゲーム6」「カラーテレビゲーム15」という名前がつけられていた。「6」が9800円、「15」が1万4800円という値段だったが、合計100万台以上も売れたという。
 わざわざ「カラー」と銘打ったのは、それまでの同種の家庭用テレビゲームが、モノクロだったためだ。
 任天堂は、その後、LSIゲームのゲーム&ウォッチを1千万個も売るが、カラーテレビゲーム、ゲーム&ウォッチ共に、その寿命は長くなかった。
 その後、1980年代に入って、国産、輸入あわせて多くのゲームマシンが市場に投入され、ゲームマシン戦国時代の様相を見せていたのである。
 その頃発売されていたゲームマシンには、次のようなものがあった。

 ・カセットビジョン(エポック社、81年7月発売、1万3500円)
 ・インテレビジョン(バンダイ、82年6月発売、4万9800円)
 ・ぴゅう太(トミー工業、82年10月発売、5万9800円)
 ・M5(ソード、82年11月発売、5万9800円)
 ・ゲームパソコン(タカラ、82年11月発売、5万9800円)
 ・マックスマシーン(コモドールジャパン、82年11月発売、3万4800円)
 ・ダイナビジョン(ヤマギワ電気、82年12月発売、4万9800円)
 ・アルカディア(バンダイ、83年3月発売、1万9800円)
 ・アタリ2800(アタリ、83年5月発売、2万4800円)
 ・ぴゅう太ジュニア(トミー工業、83年7月発売、1万5200円)
 ・SC3000(セガ、83年7月発売、2万9800円)
 ・ファミリーコンピューター(任天堂、83年7月発売、1万4800円)

 任天堂がファミコンを発売したのは、このように、ライバルたちが激しい市場争いを展開しているときで、このほかにも、ほとんどゲームマシンになっていたパソコンのMSXなども発売されていたときだった。ライバルたちの中で、「ぴゅう太」はお絵かきができる16ビットのパソコンに近いコンセプトで、「M5」「ゲームパソコン(ソード・M5のOEM製品)」は、プログラミングのできるパソコンとしてBASICも内蔵したパソコンだった。ゲームパソコンは、パソコン好きの漫画家として知られていた「ルパン3世」の作者、モンキー・パンチ氏がマニュアルのイラストを描いていた。
 しかし、値段を見てもわかるように、どれも玩具としては高価すぎ、安い「カセットビジョン」は、国産初のカセット式ゲームマシンではあったが、4ビットというCPUの性能では、ゲームの完成度には限界があった。それでも、後発の高性能ゲームマシンが続々と発売される中にあって、健闘を続けていたのは、1万3500円という低価格にあったのだろう。
 ファミコンも、発売当初から、大ヒットになったわけではない。83年7月15日に発売になったときは、ソフトも、アーケードゲームからの移植の「ドンキーコング」「ドンキーコングJr.」「ポパイ」の3本だけだった。
 その後、「マリオブラザーズ」なども登場してくるが、爆発的な人気を呼ぶのは、アメリカで、アップルII用のゲームとして発売され、大ヒットしていた「ロードランナー」が登場してからだ。
 ロードランナーは、70年代後半に、シャープのMZ―80シリーズ用のソフトやHu―BASICという独自のBASIC言語を開発、発売していた北海道札幌のハドソンが発売したゲーム。ファミコン本体の発売から約一年後の84年7月末に登場し、たちまち人気を集めていく。このロードランナーのためにファミコンを買ったという人も多かった。
 子供たちのホビー情報誌になりつつあった「コロコロコミック」は、数あるゲームマシンの中で、ファミコンをプッシュしていたが、ロードランナーの登場で、ハドソンとガッチリ手を握り、その後、「ドラクエ」と「少年ジャンプ」がタイアップ攻勢を仕掛けてくるまで、子供たちのファミコン文化の担い手となっていく。あの高橋名人も、「コロコロコミック」主催のイベントと、連載マンガでスターになったといっても間違いないだろう。
「コロコロコミック」とハドソンとの関係は、このファミコン・イベントを通じて密接になり、やがて、ハドソンがPCエンジンにシフトすると、「コロコロコミック」も一緒にシフトするという義理堅さを見せることになる。
 ファミコンのソフトには、ほかのサードパーティーもどんどん参入し、ついには、あのゼビウスもナムコから登場。そして、スーパーマリオ・ブラザーズの登場で、ファミコン人気は爆発状態になる。ゼビウスまでは、ファミコンの販売台数も400万台程度で(これでも十分に大ヒットだったが)、まだ大人たちにとっては、ファミコンも、子供かマニアのオモチャだった。それが、「ポートピア殺人事件」のようなアドベンチャーゲーム、「ドラクエ」のようなRPGの登場で、大人のファンを獲得し、ついには、国民ゲーム機となっていく。
 その後、PCエンジン(NEC)、メガドライブ(セガ)などのライバルが登場したが、日本国内では、ファミコン〜スーファミ・ラインが、衰えたりとはいえ、依然として勢力を保っている。
 そう、このファミコンの嵐は、「ゲーセンあらし」の連載終了と同時にスタートしたのである。「コロコロコミック」では、その後、「ファミコン・ロッキー」などのファミコンマンガがスタートするが、「ゲーセンあらし」の連載が、もうしばらく続いていたら、あらしの展開も、また変わっていただろう。
 作者のすがや氏は、自らがパソコン・ユーザーであったために、ゲームマシンよりもパソコンに肩入れし、「MSXマガジン」などのパソコン雑誌への登場が増え、子供雑誌から次第に遠のいていくことになる。そして突然、「コミックモーニング」に株のマンガで登場し、兜町の話題を集めることになる。そのあたりの経緯は、あとの章にある「作者インタビュー」で語ってもらっている。
 その前に、次の章では、ゲームが家庭にもすっかり定着し、文化にまでなっている平成の世の中に、「もしも、あらしが復活したら?」というテーマで、現在のゲームとの対戦ぶりなどをシミュレートしてみたい。