作者の愛用したマイコン・パソコンたち

シャープ
MZ-80K

 1979年12月購入。組立キット。講談社から発売された「ラジコンカー大事典」の印税を前借りして購入。19万8千円。「ゲームセンターあらし」がヒットしはじめて仕事が忙しくなっていたにもかかわらず、家に帰ると毎日徹夜に近い状態でBASICのプログラミング。

 内蔵メモリーは20Kで、うちBASICが約16Kを占める。ユーザーエリアは残り4Kのみで、これでは大したプログラムも作れない。

 追加メモリーは16キロバイト(メガではない)で4万円。これが2万5千円に値下がりしたのを待って購入。なんとか憧れの「スタートレック」を移植できた。

 しかし、動きのあるゲームはBASICでは反応が鈍く、ついにはマシン語にも手を出す。確定申告用プログラムからオセロゲームのソフトまで作るが、睡眠不足でダウン寸前に。そのため家族がMZ-80Kをどこかに隠してしまう。

シャープ
PC-1260

 1980年5月購入。ポケット・コンピューター。長女が生まれので役所に出生届を出しに行ったら、アルバムや手形用の色紙のほかに国民健康保険から見舞金が8万円支給され、その現金を見たとたんに悪魔のささやきが。家族にMZ-80Kを隠され、パソコンの禁断症状が出ていたからだ。そのまま神田神保町のキムラ屋まで飛んでいって、このポケコンを購入。

 以後、家族に見つからないよう、電車の中や喫茶店で256ステップしか入れられないBASICを駆使して、「タイニー・スタートレック」ゲームを作る。ボール紙の上に8×8のマス目を描き、100円玉をスタートレック、50円玉をクリンゴン、10円玉をミサイルにして、この硬貨をポケコンの指示に従って動かすもの。

マイコン組立キット

 マイコンの仕組みを知るために高円寺のエレックセンターという店で購入。2万8千円くらいだった記憶が。スナップスイッチで2進数を打ち込み、発光ダイオード(LED)を光らせるだけのもの。プリント基板ではなく、ユニバーサル基盤の上にチップやパーツを載せ、リード線でつなぐ原始的なキットだった。1980年くらいだったが、2年ほど前には2万円以上していたCPUのZ80が300円くらいになっていた。

NEC
PC-6001

「こんにちはマイコン」執筆のために1982年に2台購入。1台は仕事場に置き、もう1台は自宅で使用。シャープBASICで育ったため、マイクロソフトのMS-BASICに戸惑う。我が社のロゴマークや名刺、封筒のデザインをお願いしたアマチュア無線仲間の薄井ゆうじさんもPC-6001を持っていて、ユニークなデータベースソフトを自作していた。

 薄井さんには安いカセットテープ(プログラムのセーブ用)やカセット保管ケースなどもいただく。薄井さんは後に高見山が宣伝していた富士通の初代OASYS(日本語ワープロ)を購入し、これで小説を書いては講談社の「小説現代新人賞」に連続応募。1989年に新人賞を受賞し、1994年には吉川英治文学新人賞を受賞。

シャープ
MZ-2000

 1982年、講談社の「コミック・モーニング」に初の大人向けマンガ「オフコン・カンパニー」を連載したら、シャープの方が送ってくださった。自分でフロッピードライブを増設し、ワープロソフト「JET 2000」を入れて、ついに日本語ワープロが使えるようになる。

 最初に、この日本語ワープロをマスターしたのは、当時、我が社にいた宮本昌孝(現・人気時代小説作家)。後、作家として独立したときから富士通のOASYSを使いつづけて現在に至る。

シャープ
PC-1500

 これもMZ-2000と一緒にシャープさんからいただいたもの。ポケットコンピューターだが、小さなプリンターもついていて重宝した。

(空白期)

 1982年から84年にかけては、「ゲームセンターあらし」のアニメ化、「あらし」と「こんにちはマイコン」での小学館漫画賞受賞、大人マンガへの進出、国内・海外のレース観戦――等々で、パソコンがさっぱりいじれなくなり、MZ-2000を給与計算マシンとして使う以外は、数台のMSXパソコンでゲームを楽しむのみとなった。一番ハマったゲームは「ロードランナー」。

NEC
PC-9801 M2

 1985年春、「データベースを使いこなす」(高田正純・著/講談社現代新書)を読んでアメリカのパソコン通信の存在を知る。これがあれば海外のF1レース、ル・マン24時間レースなどの結果もすぐにわかるに違いないと考え、即座に通信のできるパソコンの購入を決意。新宿NSビル内のパソコンショップに勤めていたアマチュア無線仲間のアドバイスにより、このパソコンとエプソンの音響カプラー「CP-20」を購入。

 アメリカのパソコン通信ネット「The Source」の代理店をしていた秋葉原の本多通商(現・ぷらっとホーム)に入会申請。同時にKDDの国際公衆回線Venus-Pの利用契約も結ぶ。

NEC
PC-8201

 1985年5月、CompuServeに入会し、モータースポーツ・フォーラムに日本のレース速報を送り始める。その速報性を高めるため、通信のできる携帯パソコンが必要になり、このPC-8201を購入。富士スピードウェイや鈴鹿サーキットの公衆電話から、このパソコンとカプラーを使って速報を送りはじめる。モバイル・コンピューティングの始まり。

各社
MSX2

 この頃、アスキーの雑誌「MSXマガジン」に連載ページを持っていたこともあり、各社のMSX2パソコンをあれこれ使用。この頃、自宅では漢字の使えるパソコンがなかったため、漢字の通信には、MSX2をテレビにつないで使っていた。アスキーで製作されたMSX2のプロトタイプ(ベニヤ板の上に組まれたもの)も、西さんに頼み込んでもらってしまい、大事にしていたのだが、カミさんが間違えて、ほかの粗大ゴミに出す予定だったパソコンと一緒にゴミに……(;_;)(;_;)(;_;)。

富士通
FM-16π(パイ)

 漢字の使える携帯パソコンが欲しくて、この携帯パソコンを購入。メモリーを128KB足して30万円近かった。内蔵ニッカド電池の寿命も短かったため、タミヤの電動RCカー用バッテリー3本を予備に持ち歩き、ル・マン24時間、アメリカ旅行など海外への旅の道連れにもなる。

富士通
OASYS Network

 1987年、OASYSの生みの親、神田泰典さんが、「通信のできるOASYSができたから」と送ってくださる。

Apple
Macintosh Plus

 1985年、現「日経Mac」編集長の林伸夫氏に、「Macならマンガも描ける」そそのかされて購入。メモリーは1MB。49万8千円。同時に購入したLaser Writer IIは120万円くらいした。「日経パソコン」にMacで描いたマンガを連載するが、あまりにも疲れるため、途中で連載を打ち切ってもらう。その後、「週刊ポスト」「読売新聞」に連載していたカットの仕事は、減価償却の意味もこめてMacで描きつづける。

Tandy
TRS-80 Model 200
(Tandy 200)

 1987年、CompuServeのTandy Model 100 SIGで売りに出されていた中古品を購入。NEC PC-8201の兄弟機。海外から来たCompuServeユーザーたちに貸し出す。右の写真は、後にF1カメラマンの間瀬明氏にいただいた世界初のラップトップ・コンピューターTandy TRS-80 Model 100 (Tandy 100)。Tandy 200は、Tandy 100の後継機。NEC PC-8201も含め、いずれも京セラのOEM製品。

エプソン
WordBank Note

 1988年、薄くて軽いのが便利そうで購入。この年の春に鈴鹿でおこなわれた2輪世界選手権日本GPの速報に使用。

NEC
PC-9801 VX2

 1989年、仕事場のPC-9801M2が不調になったため、新しく買い換える。

東芝
DynaBook J3100SS 001(初代)

 1989年6月、アメリカで売られていたベストセラー・ラップトップ・コンピューター、東芝T-1000シリーズの日本語版ともいえるダイナブックが、ついに発売。日本にも、ついに本格的なモバイル・コンピューティング時代が到来したと歓喜に打ち震え、すぐに購入。英語モードにすればCompuServeの専用通信ソフトも使えたため、便利に愛用。

IBM
PS5530Z

 1990年、ダイナブックでCompuServe専用ソフトを使うようになり、デスクトップでも使えるようにと英語DOSの使える本機を購入。日本語のフォントも24ドットできれいで、何よりもキーボードのタッチがよく、文章までうまくなったような気分になった。後、OSをDOS/Vに入れ替え、以後、9801の世界とオサラバ。

東芝
DynaBook 386/20

 1992年1月、初代DynaBookが不調になり、海外取材に持っていくため、486版DynaBookを購入しようとしたが、電源アダプターが100V専用だったため、一代前のこの機種を購入。

日立ソフト
Ilis

 1993年、Windows 3.1を使うため、秋葉原のぷらっとホームで購入。CD-ROMドライブ、HDDなどを追加していく。

東芝
DynaBook SS 450

 1993年、NTTドコモのデジタル携帯電話モニターに応募し貸与されたマシン。後に割引価格で購入。

Compaq
??

 小説の原稿を書くのに使っていたDynaBook SS 450が、突如、不調に。修理に出している暇はないので、ニフティ仲間のYさんのところで余っていたのを夜中にクルマで押しかけて購入。

IBM
Aptiva 550

 1995年、小学館から発売されたマンガ版Windows 95入門書を書くため、小学館から送られてきたマシン。Windows 95を使うには非力だったため、メモリーを追加。Windows 95のインストールで苦労する。

Panasonic
Let's Note Mini

 1996年1月、原稿を喫茶店やファミレスで書くことが多くなり、軽いノートパソコンが欲しくなって、このパソコンを購入。予備バッテリーとメモリーも追加し、後にはWindows 95をインストールして使いつづけるが、1997年、酷使に耐えかねてか液晶ディスプレイの下半分に、白い縞模様が入るようになる。マザーボードの交換で直るが、すぐにまた同様の症状が……。1998年5月、Panasonic AL-N2に買い換える。写真はパリのホテルにて、GSMデジタル携帯電話を使ってモバイル通信中の様子。

富士通
DeskPower

 1997年、デスクトップ機でグラフィック関係の仕事をすることも多くなり、Aptivaでは非力なため、この機種に買い換え。その後、メモリー、HDD、MOドライブ、スキャナー、タブレットを追加し、99年になってからWindows 98に入れ替えて現在も使用中。

Apple
Macintosh LC575

 ニフティサーブで「コンピュサーブ&国際通信フォーラム」のSysOpをしていたため、Mac用CompuServe専用通信ソフトの確認をする必要もあり、ニフティ仲間のHさんから中古で購入。

CASIO
CASSIOPEIA A-51

 初代日本語版Windows CEマシン。1997年、モバイル通信用に購入するも、乾電池では携帯電話用モデムカードも使えず、結局、引き出しの肥やしとなった。

Panasonic
AL-N2

 1998年5月、Let's Noteの不調に耐えかね、買い換えを決意。トラックボールに慣れているため、新しい機種に買い換える意欲が起きず、酷使されたキーボードを交換したりしながらもメインマシンとして使用。

Purpose
PNV-C700URD

 2000年12月、画像処理用に購入。

Panasonic
CF-B5ER

 2001年1月購入。

Panasonic
CF-A3

 2002年5月購入。

Dell
Dimension 8400

 2005年1月、早稲田大学eスクールの授業受講のために購入。

 ほかにOASYSポケット(1〜3)、The Book、InterTop、シャープのワープロ、同じくシャープのZAURUS(3台)などもありましたが、時間がとれたときに写真とともに追加していきます。機種名、型番などが間違っていたら教えてね。最近、老人力がついていて記憶が曖昧なもので……。
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