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『仮面ライダー青春譜』 第1章 巨匠との遭遇(1)

●ニセ石森章太郎の正体

「きみが菅谷クン……?」
 改札口を出たとたん、学生服姿の男子高校生が声をかけてきた。
 学生服の襟元からは、派手なオレンジ色のタートルネックの襟がのぞき、整髪料でテカテカと光り固められた髪には、しっかりと櫛目がとおっている。いかにも都会の高校生――といったキザな姿で、静岡の田舎から出てきたばかりのぼくは、一瞬たじろいだ。
「は、はい……」
 うろたえながらもなんとか返事をすると、前に立つ高校生が、笑顔になって自己紹介した。
「ミュータント・プロの菅野です」
「ど、どうも。菅谷です」
 ペコリとお辞儀したぼくも、やはり学生服に身を包んでいた。
 昭和四十二(一九六七)年三月二十五日の正午前。高校一年の三学期が終わり、春休みに入ったばかりのときである。
 場所は、東京都練馬区の西武池袋線桜台駅。
 この駅の北口改札口前で、ぼくが待ち合わせをしていた男子高校生は、〈ミュータント・プロ〉というマンガ研究会の会長だった。
 名前は、菅野誠。年齢は、ぼくと同じ十六歳のはずなのに、いくぶん大人びて見えるのは、隙のない服装とヘアスタイルのせいにちがいない。同人誌では、本名のほかに、「ひおあきら」というキザなペンネームも使っていた。
 ぼくの学生服は従兄弟のおさがりで、情けないほどヨレヨレにくたびれていた。中学生のときまで長髪禁止だった関係で、髪も高校一年の終わりになって伸ばしはじめたばかり。どこから見ても、田舎の高校生であることが一目瞭然だった。
 東京に来るのは、小学六年生の修学旅行以来だった。つまり四年ぶりになる。前日のうちに上京したぼくは、亀戸の叔父の家で一泊させてもらったあと、国鉄総武線(当時)と地下鉄丸の内線、そして西武池袋線を乗り継いで、桜台駅までやってきたところだった。

 この日ぼくは、初対面となるマンガ研究会の仲間に、会の名誉会長である石森章太郎先生と、名誉副会長の松本零士、久松文雄両先生のお宅に案内してもらうことになっていた。持参した原稿を先生方に見てもらうためである。脇に抱えたスケッチブックには、原稿のほかに、サインをもらうための色紙も挟んでいた。
 石森先生のお宅は、住宅街の隙間をうねるように走る狭い道をたどった先にあった。桜台駅からは十五分くらいの距離である。
 途中、ところどころに畑がひろがり、雑木林のような木立も見える。
 ――これが武蔵野の面影なのかなあ?
 ぼくは、変なことを考えながら、菅野誠のあとをついていった。
 菅野もぼくも、スケッチブックを小脇に抱えていた。スケッチブックには、マンガの原稿が挟まっている。この頃の典型的なマンガ少年のスタイルだった。もう少し寒い季節で、首に長いマフラーでも巻いていたら、もっと完全だったろう。気分だけは『ジュン』(石森章太郎)や『漫画家残酷物語』(永島慎二)の主人公のつもりだったのだ。
 石森章太郎先生のお宅は、音楽大学の付属幼稚園の脇を抜け、少し坂を下った途中にあった。
 青々とした芝生が茂る庭には、小さいながらもプールまである。建てられて間もない石森邸は、台風が来るたびに窓を釘で打ちつけるようなボロ家に住んでいたぼくにとっては、まさに白亜の豪邸で、ハリウッドスターの住まいのように、ピカピカと光り輝いて見えた。
 先生は、まだおやすみで、庭先で奥さんが、長男の丈君をあやしていた。現在、俳優として活躍する丈君は、まだ一歳だった。
 そこに遅れて〈ミュータント・プロ〉のメンバー三人が到着した。副会長の細井雄二、田村仁、近藤雅人の三人である。
 菅野誠も含めた四人は、三鷹市内の中学の同級生だった。ぼくも影響を受けた石森章太郎先生の『マンガ家入門』に感化され、マンガ研究会「ミュータント・プロ」を結成したのが一年前のこと。肉筆回覧誌「墨汁三滴」も、すでに三号まで発行しているという。
「墨汁三滴」という会誌の名前は、石森章太郎先生が高校生のときに結成した〈東日本漫画研究会〉の肉筆回覧誌「墨汁一滴」の名前を受け継いだものだった。
 石森先生たちの〈東日本漫画研究会〉には、赤塚不二夫、高井研一郎、横田とくお氏などが参加し、「墨汁一滴」にも原稿を寄せていた。「墨汁一滴」の題名は、もちろん正岡子規の随筆集にあやかったものだ。
〈ミュータント・プロ〉の会誌が「墨汁二滴」にならなかったのは、〈東日本漫画研究会・女子部〉が、先に「墨汁二滴」の名前をつけた肉筆回覧誌を発行していたからである。
「墨汁二滴」は、西谷祥子、志賀公江、神奈幸子といった人気少女マンガ家を輩出した同人誌としても知られていた。また、志賀、神奈の両氏は、「墨汁三滴」の名誉会員として、会誌の会員一覧ページにも名前をつらねていた。
 庭先にいた奥さんの話によると、石森先生は、三時間ほど前にベッドに入ったばかりで、あと一時間ほど経たないと起きてこないという。それまでのあいだ、庭の草むしりをしてくれないかと奥さんに頼まれた。菅野をはじめとする〈ミュータント・プロ〉のメンバーは、全員が奥さんとも顔なじみで、気軽にOKした。とりわけ菅野は、奥さんにも「菅{かん}ちゃん」と呼ばれるほどで、もう長いあいだ通い詰めていることが窺われた。
 ぼくもすることがないので、菅野たちと一緒に芝生のあいだから顔を出している雑草をむしり取った。小さい頃から母と一緒に近所のお寺の草取りを手伝っていたので、これくらいの作業は苦にもならなかった。
 三十分ほどで草取りを終えると、奥さんがお礼にと、昼食をご馳走してくれることになった。そば屋のメニューを手渡され、なんでも好きなものを頼んでいいというのだ。
 ところが東京のそば屋のメニューときたら、カツ丼や天丼、親子丼といったドンブリものから、天ぷらにカレー、キツネにタヌキ、盛りに、かけに、ざる……と実に多彩。よく考えたら、ぼくは、そば屋に入った経験がなかった。
 豊富なメニューに目がくらんでしまい、何を頼んでいいのか迷い、うろたえた。
 ドンブリもののほかに、そばとうどんがある。天ぷらやカレー、キツネにタヌキあたりは、どんなものか知識があったが、どう考えてもわからないメニューがひとつだけあった。おかめうどん――である。ぼくの田舎では、こんなメニューを見たことがない。そこでぼくは好奇心を発揮し、おかめうどんを注文した。
 先生の奥さんは、
「若いんだらから、もっとボリュームのあるカツ丼か親子丼にでもすれば?」
 とおっしゃってくれたのだが、どうしても、おかめうどんの正体を確かめてみたかったのだ。
 そば屋から届いたおかめうどんは、カマボコや伊達巻き玉子が載っているだけで、どこがおかめなのか、さっぱりわからなかった。かまぼこや玉子焼き、しっぽくで、おかめの顔が形づくられていることを知ったのは、ずっとあとになってからのことだ。
 庭に面した居間で食事をご馳走になったあと、ぼくたちは先生の仕事部屋に向かった。菅野が勝手知ったる様子で案内してくれたのだ。
 仕事部屋の隅に置かれたソファに座って先生の起きてくるのを待っていると、先に三人ほどのアシスタントが仕事部屋に入ってきた。菅野の小声の説明によると、アシスタントたちは、奥にある仮眠室でやすんでいたらしい。
 アシスタントたちは、生あくびを噛み殺しながら、すぐに机の上に置かれていた原稿を手にとった。原稿には、人物にだけペンが入っている。人物のペンは、石森先生が入れたものだ。
 アシスタントたちは、鉛筆で背景の下絵を描いてはペンを入れ、吸い取り紙がわりのトイレットペーパーを原稿の上に転がしていく。墨汁が乾く時間を短縮させるためらしい。アシスタントたちが、わずかの時間を惜しんでいる様子が、見学しているぼくにもビンビンと伝わってきた。
 いつのまにか全身が熱くなっていた。生まれて初めてプロのマンガ家の仕事場を訪問し、アシスタントの仕事ぶりを目の当たりにしているのだ。その興奮と緊張に、身体が対応しきれていなかったらしい。
 ――もしかすると将来、ぼくもここで仕事することになるのかもしれない……。
 そんな夢想に酔いながらアシスタントの手元を見つめていると、突然、玄関のチャイムが鳴った。
 先生の机に一番ちかい席にいたアシスタントが、玄関に立っていくと、すぐに、
「サインください」
 という元気な男の子の声が聞こえきた。近所の小学生がサインをもらいにきたのだ。
「ちょっと待ってね」
 子供から色紙を預かってきたアシスタントは、自分の席にもどると、マジックインキを手にとった。
 ――え……?
 ぼくは目を丸くした。それも当然だろう。アシスタントは、ぼくたちの見ている前で、下絵もなしにサラサラと『サイボーグ009』の絵を描きあげると、石森章太郎というサインまで入れてしまったのだ。
 アシスタントは、その色紙を持って玄関に立っていった。
「はい」
 アシスタントの声が聞こえ、男の子の嬉しそうな感謝の言葉が聞こえてきた。
 子供が帰るとアシスタントは自分の席にもどり、何ごともなかったかのように仕事を再開した。
 ――これがプロのマンガ家の現実なのか……!
 唖然としているぼくに、横から菅野が声をかけてきた。
「いまのがチーフの永井さんだよ」
 いま『サイボーグ009』の色紙を描いて子供に渡したチーフアシスタントは、ほかのアシスタントよりも若そうに見えた。しかし、仕事の手は速く、さっさ、さっさと原稿を仕上げていく。しかも楽しげに背景のペン入れを進めていた。
 チーフアシスタントのフルネームは、永井清。この一年ほど後に、『目明かしポリ吉』というギャグマンガでデビューするが、そのときのペンネームは、永井豪――となっていた。


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