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『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(6)

●忍者マンガ

 ぼくが小学生から中学生だった時代、少年ジャーナリズムの世界においては、忍者マンガと戦記マンガが二大ブームとなっていた。
 忍者マンガといえば、第一人者は誰がなんといおうと白土三平だった。
「少年」の『サスケ』、「少年ブック」の『真田剣流』(第二部は『風魔』と改題)、そして「少年サンデー」にオムニバスで掲載された『イシミツ』などが、この時期の白土三平の代表作といっていいだろう。
 なかでも人気の高かったのが、のちにアニメにもなる『サスケ』であった。このマンガに登場する「微塵がくれの術」の科学的(?)な解説は、ちょっぴり理科系少年でもあったぼくの胸をときめかせたものである。
 白土マンガの忍術の解説は、その後の野球マンガにおける魔球の解説などと一脈通じるものがあった。
 だが、魔球の解説は非科学的なものが多く、どう見てもこじつけとしか思えないものが大半だった。それに対し、『サスケ』の忍術解説は、まるで理科の教科書を読んでいるような錯覚を起こさせた。
 なかでもよく憶えているのは、サスケが老婆とともに岩穴に閉じ込められたとき、老婆の着ていた綿入れの綿に、岩のあいだからにじみ出ていた天然の硝酸をかけて、火薬を作り出すシーンだった。サスケは、その方法で作った火薬を使って岩を砕き、洞窟からの脱出に成功するというストーリーだった。
 ぼくは、中学二年生のとき、この火薬作りを試してみたことがある。

 まず、化学部の部員だった同級生とふたりで、化学実験室に隣接した薬品保管室に忍び込み、硝酸をいただいてきた。この硝酸を綿の上にかけてみて、火薬ができるかどうかを実験したのだ。
「サスケ」のマンガでは、綿に硝酸をかけると黒い火薬の粉ができあがったのだが、ぼくたちの実験では、綿が硝酸を吸い込んだだけでおしまいだった。ほかに何の反応もない。
 とにかく乾くのを待って、マッチで火をつけてみたが、ボッと少し勢いよく燃えただけだった。
「あのマンガは、インチキだ」
 ということになったのだが、念のため、図書室にいって、化学の本をかたっぱしから開いてみた。
 すると、硝酸をしみこませた綿は、「硝化綿」とか「硝化セルロース」と呼ばれ、無煙火薬の原料に使われるものであることが判明した。ノーベルのダイナマイトも、ここからはじまっていたのだ(実際の硝化綿は、硝酸と硫酸の混合物を綿に染み込ませて作る)。
 しかも、そのまま火薬として使えるわけではないらしい。金槌で硝化綿を叩くと、音を立てて爆発するという。ぼくは、校舎の裏庭に硝化面を持ち出すと、石の上に載せてトンカチで叩いてみた。
 パチン! と小さな音を立てて、硝化綿が、線香花火のような火花を飛ばしたが、それで終わりだった。
 いくらマンガとはいえ、こんなことを実際に試す読者もいるのだ。マンガ家は気をつけなくてはいけない。
 自分の体験から得た教訓も、実際にマンガ家になったときには、すっかり忘れていた。『ゲームセンターあらし』というテレビゲーム・マンガを描いたときに、主人公に「炎のコマ」という必殺技を使わせたのだが、その頃のテレビゲームに使われていたマイコンのCPUは、クロックが1メガヘルツくらいの遅いものばかり。ならば、スイッチで一秒間に百万回以上のオン、オフを繰り返せば、CPUがだまされて、ブロック崩しやインベーダーのゲームで大勝をおさめることができるはず――と考えたのだ。むろん、消える魔球と同様のヘリクツである。
 一秒間にテレビゲームのレバーを100万回も動かすために、摩擦によってレバーが熱を持ち、炎を吹き出してしまう--という設定になっていたのだが、このバカバカしさが子供たちの人気を呼んだ。
 ただ人気になったのだったら問題はない。ところが、たくさんの子供たちが街のゲームセンターで「炎のコマ」を試してしまったのだ。ゲームマシンのレバーを壊したり、勢いあまって手を怪我した子供もいたらしい。そんな投書をたくさんもらったぼくは、あらためて中学生時代の危ない実験のことを思い出したのだった。

●戦記マンガが少年雑誌のハシラだった

 忍者マンガと並んで、この頃、人気があったのが戦記マンガである。一応、どんな戦記マンガがあったか、列挙してみよう。

■「少年サンデー」

◎『大空のちかい』(久里一平)

 陸軍加藤隼戦闘隊に所属する少年パイロットを主人公にしたマンガ。戦闘機である隼の編隊が飛ぶシーンには、「加藤隼戦闘隊」の歌の歌詞が書かれていた。作者の久里一平は、アニメ・プロダクション「竜の子プロ」の創立者吉田竜夫(個人)の実弟。

◎『あかつき戦闘隊』(相良俊輔・原作/園田光慶・マンガ)

『大空のちかい』の後、しばらくしてからはじまった戦記マンガ。貸本劇画時代は、ありかわ栄一の名前で活躍していた園田光慶が、「少年画報」「少年キング」などの雑誌で活躍した後、「サンデー」に本格進出した記念すべき作品でもある。
 海軍の零戦パイロットが、任地である太平洋の孤島に零戦で赴くと、いきなり、ならず者たちの集まりである味方から銃撃を受けるというファーストシーンは、なぜか日活で石原裕次郎が主演した『零戦黒雲一家』の冒頭と同じだった。ぼくは『零戦黒雲一家』を母が勤めていた映画館で、七日間連続で見ていたため、こんなことまで気になったりもした。

■「少年マガジン」

◎『紫電改のタカ』(ちばてつや)

 出てくる戦闘機が、みんなブリキ細工みたいに見えて、ちょっと情けなかった。しかし、ストーリーでは、さすがに「笑いと涙」のちばてつや。最終回では、誰もが泣いた。
 ぼくが中学二年生頃だっただろうか、ちばてつやが「紫電改のタカ」を描くところがNHKのテレビで放映されたことがある。ちばてつやが実際にペン入れをするのは、顔の中身と輪郭だけで、あとはアシスタントまかせだったのを見てびっくりした。しかも、そこでアシスタントをしていたのは、大阪の日の丸文庫で活躍していたはずの政岡としや(稔也)と梅本さちおだった。
 政岡としやは、その後、青年劇画誌「コミックVAN」で戦記マンガを描いたりもしたが、そのときのメカは、実にカッコよく描かれていた。
 梅本さちおは、まもなく「少年マガジン」の増刊号などに読み切りマンガを発表し、やがて創刊される「少年ジャンプ」(はじめは隔週だった)に『くじら大吾』という身体のでっかい少年が主人公のマンガを連載する。つづいて「少年キング」に連載した『アパッチ野球軍』(花登筺・原作)がアニメ化されてヒット。その後も『リトルの団ちゃん』(「月刊少年チャンピオン」連載)などで活躍するが、一九九三年、五十歳で死去。ぼくが知り合ったのは一九八〇年前後だが、その頃には、マンガも描かなくなりつつあった。

■「少年キング」

◎『忍者部隊月光』(吉田竜夫)
 テレビにもなった、あまりにも有名な忍者+戦記マンガ。マンガでは太平洋戦争が舞台になっていたが、水木譲主演のテレビ版では、現代を舞台にしたスパイ+忍者モノになっていた。
 吉田竜夫は、アニメ・プロダクション「竜の子プロ」を設立し、「少年ブック」に連載していた『宇宙エース』をテレビアニメ化する。このアニメは、カネボウハリスがスポンサーになっていたが、その後、カネボウハリスは、同じ吉田竜夫の柔道マンガ『ハリス無段』、ちばてつやの『ハリスの旋風』などのタイアップ作品を次々と手がけるようになる。

■「少年ブック」

◎『燃えろ南十字星』(松本あきら)
 この作品については本文で触れたので省略するが、同じ「少年ブック」では、望月三起也が、戦記マンガの読み切りシリーズを、別冊フロクで描いていた。

■その他

◎『虎の子兵曹長』(わちさんぺい)
 元、陸軍航空隊整備兵の経歴を持つ『ナガシマくん』のわちさんぺいが描いた航空戦記マンガ。東南アジアを舞台にしていた。絵は、もともとがギャグマンガ家なので、線なども簡単だったが、その省略された線で描く隼などの戦闘機がリアルだった。また、石油タンクの爆発、火薬による爆発などの煙の描きわけをきちんとしており、さすが経験者はちがうと妙に納得したものだ。
「隼」が機体を傾けるときは、必ず「クラッ」という擬音が入っていた。現在、航空戦記小説を書く筆者が、小説中で戦闘機が傾くとき、つい「クラッ」という擬音を使ってしまうのは、このマンガの影響によるものである。


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コメント

私も、小学生の頃「炎のコマ」はゲームセンターで(遊びで)よくやりました。さすがに水魚のポーズはできませんでしたけど。
その当時、「ゲームセンターあらし」は私にとってのバイブル的存在で、コロコロコミックは母にねだって毎月買ってもらってました。
今なら、100万回どころか何兆回動かさないとCPUは騙せないかもしれませんね。


>はるまこさん

 コメントをありがとうございました。

 コメントがダブっていたので1つを削除させてもらいました。

 おっしゃるように、『ゲームセンターあらし』が、いまのCPUに挑戦したら、おっしゃるようなことになるでしょうね。3年ほど前、『あらし』の新作を久しぶりに描いたとき、最近のゲームでなく、レトロゲームを題材にしたのも、このあたりのことが絡んでおりました。

 最近のゲームに詳しくないってこともありましたが。



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