« 『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(7) | メイン | 『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(9) »

『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(8)

●「劇画」と「マンガ」

 焼きそば店や理容店で貸本店向けの単行本を読んでいたせいで、貸本店向けのマンガが「劇画」と呼ばれていることは、だいぶ前から知っていた。
 もっとも、当時(一九六〇年代前半)、この「劇画」という名称を知っていたのは、貸本店のユーザーくらいのものだったろう。
「劇画」という言葉が、雑誌でも一般化してくるのは、その後、相次いで創刊された青年コミックス誌に、貸本屋向け劇画家たちが大挙登場してくるようになってからである。
「ガロ」に連載していたマンガ家の作品をも「劇画」と呼称する評論家もいたが、白土三平、水木しげる、つげ義春といった「ガロ」系のマンガ家が、みずから「劇画家」と称した事実はない。
 ぼくは、おそまきながら貸本屋の単行本を読みふけるようになり、そこにあった古い単行本を読みながら、劇画の歴史をさかのぼっていった。
「劇画」という呼称を使いだしたのは、関西を拠点にしていた貸本向けのマンガ作家たちだった。辰巳ヨシヒロ、松本昌彦、山森ススム、さいとう・たかを、佐藤まさあき、といった作家たちが「劇画工房」という組織を作り、それまでのマンガと表現方法において一線を画すという意味合いから、「劇画」という呼称を使いだしたのが最初だったはずだ。
 ぼくが読んだ古い劇画短編集のなかに、辰巳ヨシヒロによる「劇画とマンガのちがい」についての解説があったのを憶えている。その内容は、次のようなものだった。

■マンガと劇画のちがい

◎拳銃の擬音:
 マンガ=パーン、パーン
  劇画=ガーン、ガーン

◎自動車の走り方:
 マンガ=スピード感を出すために、自動車の車体が宙に浮く。
  劇画=リアルさを追求するため車体は宙に浮かない。

◎登場登場人物が何かに気づいたとき:
 マンガ=頭のまわりに点々を描く。
  劇画=頭のまわりに激しいフラッシュを描く。

 ここで辰巳ヨシヒロが説明していたのは、いかに劇画がリアルな表現方法を使っているかだった。
 しかし、ぼくは、すでに松本あきらの洗礼を受けていた。マンガにだってリアルなものがあることを知っていたから、辰巳の説明には納得できなかった記憶がある。
 後年、ぼくが漫画家としてアシスタントを使うようになってからのことだが、若いアシスタントたちが、マンガ独特の記号的な表現法をまるで知らないという事実を知って、愕然としたことがある。
 びっくりしたときに汗が飛んだり、緊張したときに頬を汗が流れ落ちたり、ヒントが浮かぶと頭の上に電球が灯ったり。頭にランプが灯るキャラクターだっていた。
 作者と読者のあいだで暗黙のうちに決められていたはずの記号的表現が、すっかり影をひそめ、忘れ去られていたのだ。アニメでスタートし、その後マンガに入ってくるマンガ家志望者が多いことも、マンガ表現に特有の約束ごとに関心をはらわなくなる原因となっていたようだった。
 創世期の劇画は、大阪の日の丸文庫という出版社から発行されていた「影」や「魔像」といった短編集に多く掲載されていた。しかし、ぼくは、日の丸文庫の作品や作家は、あまり好きになれなかった。実際に発表されたときよりも、少し遅れて貸本劇画に接したせいか、古さばかりに目がついてしまったからである。
 この頃、日の丸文庫で活躍していたのは、影丸譲也、山本まさはる、みやはら啓一、梅本さちお、水島新司など。時代劇では平田弘史、石川フミヤスたちが、「魔像」を中心に、短編を描いていた。
 梅本さちお、水島新司、山本まさはるなどは、「オッス」という現代もののホームドラマ的な生活マンガをよく描いていた。水島新司は、テレビ番組の「番頭はんと丁稚どん」をマンガ化してもいたはずだ。
 自ら劇画家を名乗った作家たちとちがい、日の丸文庫系のマンガ家の作品には、庶民の生活を描いたものが多かった。
 ぼくは、日の丸文庫系のマンガ家の作品が、どうも苦手だったが、それは、藤山寛美の松竹新喜劇や花登筺などの大阪大衆演劇の臭いが感じられたせいかもしれない。ぼくは、もっとスマートでカッコいい劇画やマンガ――そう、日活アクション映画のような作品が好きだったのだ。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.m-sugaya.jp/blog/mt-tb.cgi/230

この一覧は、次のエントリーを参照しています: 『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(8):

» 劇画の表現方法 from 日記 -マイルド
久々に「すがやみつるの雑記帳」が更新されていたので、チェック。 文中に、『辰巳ヨシヒロによる「劇画とマンガのちがい」についての解説』の抜粋が書いてあって、... [詳しくはこちら]



コメント

更新、楽しみに待ってました。

そういえば、手塚治虫さんが当時の劇画(さいとうたかを作品と記憶)に対して「擬音をマジックで書くなんて…」と批判されたとかされないとか。

手塚フリークの私ですが、当時の劇画の出現はニーズを満たしていたのではないかと思います。

「アニメでスタートし、その後マンガに入ってくるマンガ家志望者」というのは具体的な名前を挙げるのは難しいでしょうか?知りたいです。



>はるまこさん

「アニメで育った世代」というのは、うちが「あらし」を連載していたあたりにアシスタントに入ってきた世代あたりから増えてきたように思います(あの文章では、うちのアシスタントたちを想定しています)。

 マンガはさほど読んだ経験がなく、アニメが先にあって(生まれたときからテレビもアニメもあった)、たとえば『うる星やつら』あたりでも、マンガよりも先にアニメから入った……というような世代です。

 もちろん全員ではありませんが、このようなマンガ家志望者、マンガ家が増えたことで、雑誌のマンガ表現も変化していったように思います。

 また、マンガ家の専属制度が進んだ結果、アシスタントや徒弟制度の中で受け継がれてきた表現の伝統なども変化したように思います。



コメントを投稿

(お名前とメールアドレスは必ず入れてください)