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『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(11)

●「マンガ家入門」ショック--

『マンガ家入門』。写真をクリックすると大きな画像が表示されます。
『続・マンガ家入門』。写真をクリックすると大きな画像が表示されます。
 劇画のことで少し先走った時間軸を、ここで少しもどすことにする。
 マンガを描いていたぼくに、一大転機が訪れるのは、昭和四十(一九六五)年八月のことである。
 中学生最後の夏休みも終わりに近づいた頃、ぼくは、突然高熱を発し、激しい嘔吐と下痢で寝込むことになった。
 小学生の頃までのぼくは、学年が変わるたび、四〇度ちかい高熱を発し、嘔吐と下痢を繰り返しては学校を休んでいた。
 子供の頃からかかりつけだった医院の医師は、精神的なものが原因だと診断した。母親が神経質なほどにきれい好きで、整理整頓にも口やかましく、それが親や教師の顔色を窺っては気をつかう性格にさせてしまったのだという。熱を出したり嘔吐したりするのも、神経を過敏にしているのが原因だというのだ。
「息子を殺したくなかったら、うるさくいうのはやめなさい」
 医師は、母にこうアドバイスしたという。
 そこで母は、自分の性格をおさえて、ガミガミいうのをやめることにした。
 それまできちんと整理されていた机のまわりや本箱は、根がズボラだったせいなのだろう、たちまち散らかり放題になった。ところが不思議なもので、それ以来、年度替わりに担任教師が替わっても、熱を出さなくなってしまったのだ。医師の診断はまちがっていなかったことになる。

 高熱と嘔吐の症状が、突然、再発したのは、一九六五年の八月、中学三年の夏休みが終わろうとしている頃だった。
 この頃のぼくは、家の経済的事情も考え、高校に行くこともあきらめていた。母は必死に働いていたが、過労が原因で寝込むことも多くなっていた。
 わが家の経済状況を知っている近所の人たちが、ぼくの就職先の心配をしてくれるようになったのも、この頃からだった。定時制の高校に通わせてくれるシステムがあるからと、東芝の工場や電電公社(現NTT)の電話局に口をきいてくれるという人もいた。中卒での就職は、すでに皆無にちかくなっていた頃でもあった。
 ぼくは、高校に行くことをあきらめてはいたのだが、どこかに忸怩{じくじ}たる思いもあった。困ったことに、成績だけはトップクラスを維持していたからだ。宿題も家でやったことがなく、登校後、休み時間にすませていた。中間、期末の試験勉強もしたことがなかったのに、なぜか、いつも上位の成績を取っていた。
 トップクラスの成績を維持できたのは、おそらく父親ゆずりの記憶力があったからだろう。
 ぼくの父は、飲んだくれだったくせに、いちど電話をかけた先の電話番号は、メモも取らずに記憶した。母と夫婦喧嘩したときも、二十年も前の母の言動を引き合いにして、文句をいっていた。それも昭和○年○月○日の午後×時×分頃――といった具合に、日時まで特定するのだ。もちろん母は、二十年も前のことなど忘れ去っている。そんな昔のことを蒸し返されても困ってしまうのだが、父は、そんな些末なことまで夫婦喧嘩のネタにする嫌なヤツだった。
 父親が、自分の記憶力をもとに、昔の母の失敗をなじる光景を見ては、あんな大人の男にはなりたくない――と思っていたのだが、ハッと気づけば、このぼくも、いちど電話をかけるだけで、指が番号を記憶してしまうようになっていた。そんなところだけは父の遺伝子を受け継いでしまったらしく、数字やデータ類を記憶する力だけは、バツグンに良かったのだ。落語の寿限夢だけでなく、東海道本線・山陽本線の全駅名も、小学生の頃には暗唱できたほどだった。中学生になってからは、テレビ映画『逃亡者』のナレーションまで暗記した。
 当時のテストは、科挙の登用試験のように、暗記力が勝負の分かれ目となる問題が多かった。当然、記憶力が成績向上にもつながることになる。塾にもいかず宿題もやらず、もちろん試験勉強もしないのに、それでも上位の成績を維持できたのは、父親ゆずりの暗記力、記憶力のおかげだったのだ。
 高校進学は断念していたつもりでも、周囲の誰もが目の色を変えて、高校受験のための勉強に取り組みはじめたのを見ているうちに、なぜ俺だけが高校に行けないんだ――というみじめな思いに取りつかれるようにもなっていた。
 そして、その思いは、父に対する怨嗟にもなった。
 ――この父さえいなければ、ぼくと母は、もっと楽な暮らしができたはずなのだ。
 そう思い込むようになってしまったのだ。
 父は、身体が不自由なのに、夜になると酒を飲みに出かけては、酔っぱらって帰ることが多くなっていた。深夜、遠くから聞こえてくる怒鳴り声を聞くと、反射的に殺意を抱いたものだった。
 父に何かいわれるたび、「うるさい!」と怒鳴り返し、「お前なんか死んじまえ!」と喚くようにもなっていた。遅ればせの反抗期にも入っていたらしい。
 とりわけ夏休みは、家にいる時間が長くなる。父親と接する時間も多くなる分、当たり散らす回数も増えることになってしまうのだ。そのくせ、半身不随の父親を怒鳴りつける自分が情けなくなり、自己嫌悪におちいる日々がつづいていた。
 四〇度の高熱を発し、激しい嘔吐と下痢で寝込んでしまったのは、あと十日ほどで夏休みが終わろうとしている頃だった。二学期がはじまって学校に行けば、毎日、高校受験の話題にさらされる。そのことが気になって、また身体がパニックを起こしてしまったのかもしれない。いまなら、登校拒否とか自閉症など呼ばれる症状の一歩手前だったのだろう。しかし、そんな気のきいた病名など、まだ聞いたこともない時代だった。
 そんなとき、製紙工場がマンガ雑誌の宝の山だということを教えてくれた金森俊昭が、ぼくの家にやってきた。ぼくが寝込んで三日目くらいのときのことだ。
「おい、いま本屋にいったら、石森章太郎の『マンガ家入門』という本があったぞ」
 金森が、いきなり早口でまくしたてた。
「えっ、ど、どんな本?」
 ぼくは、布団の上に起きあがって訊いた。もちろんパジャマ姿のままだ。
「パラパラめくっただけだから、よくわからないけど、一ページごとにコマ割りのしかたなんかが説明してあってさ。『マンガのかきかた』よりも、ずっと詳しく説明されているんだ」
「いくらだった?」
「三百二十円。早く買いにいかないと、誰かに買われちまうぞ。じゃあな」
 金森は、そういって玄関から出ていった。
 ぼくは、もう、いても立ってもいられなくなっていた。なんとか布団から抜け出すと、ふらつく足で家の外に出た。洗濯物を干していた母に、お金を貸してほしいと頼むためだ。
「なんの本?」
 母が訊いた。
「マンガの参考書」
「学校の参考書なんかまちがっても買うわけがないものね」
 母は、アハハハと笑って財布から五百円札を出してくれた。
 パジャマ姿だったぼくは、なんとか着替えをすると、家の外に置いてあったオンボロ自転車にまたがった。この数日、重湯{おもゆ}だけしか口にしていなかったので、自転車のペダルを漕ぐ足にも力が入らない。まるで雲の上を走っているような感じだった。
 夏の太陽が頭のてっぺんから照りつけて、ぼんやりしている頭をよけいにクラクラさせる。商店街のアーケードの柱に自転車を立てかけて、夏の日差しのなかから薄暗い本屋の店内に飛び込むと、突然、目の前が真っ暗になった。明るい屋外から暗い店内に、あわてて飛び込んだせいだ。
 目が慣れるまでにしばらく時間がかかり、ようやく本棚が見えるようになってきた。店のなかには、店員がひとりいるだけだった。
 田舎の町では、真夏の昼下がりに本屋にやってくるような物好きはいない。もちろん、この頃の本屋には、冷房などという気のきいたものも入ってはいなかった。店内には、熱気と湿気が籠もっていた。
 ぼくは、金森に教えられていた児童書の書棚にふらつく足を向けた。
『マンガ家入門』は、すぐに見つかった。
 箱入りの豪華本だ。用心しながら箱からセロファンのかかった本体を出し、そっとページを開いてみる。
 最初に見たのは奥付の部分だった。初版の発行は一九六五年八月十五日になっていた。定価は三百二十円。発行所は「マンガのかきかた」と同じ秋田書店だ。正式タイトルは、『少年のためのマンガ家入門』となっていた。
 ぼくは『マンガ家入門』を買うと、急いで家にもどった。
 家に着くと、包装紙を開くのももどかしく本を取り出し、胸をドキドキさせながら、石森章太郎作品のキャラクターが描かれた表紙をめくった。
 見返しには、石森章太郎作品のキャラクターがちりばめられていた。サイボーグ009がいる。ミュータント・サブがいる。となりのタマゲ太くんもいる。そして、かつて熱中して読んだ『怪傑ハリマオ』や『少年同盟』の主人公たちもいた。
 扉の絵は、二色で描かれたマンガ家の机の上の絵だ。ペンがあり墨汁があり、鉛筆とホワイトがある。カラスグチもあった。筆立てには、彩色用の筆といっしょに羽根ぼうきも入っていた。
 カラー口絵は、本文の中でテクニックが解説されている『龍神沼』の絵だ。その下には、四色オフセット印刷と、三色印刷の色の塗り方の解説がされていた。
 四色オフセット--こんな言葉を目にするのもはじめてだった。

 ■まえがき
第1部  入門編
 ■第一章 おさらい
  ●一、道具
  ●二、かき方
  ●三、発表方法
 ■第二章 自己紹介(マンガ家への道)
  ●マンガファン
  ●投稿時代
  ●デビュー
  ●マンガ家生活
  ●スランプ
  ●現在
第2部 テクニック編
 ■第一章 ギャグマンガ
  ●どろんこ作戦
 ■第二章 ストーリーマンガ
  ●龍神沼
 ■第三章 その他のマンガ
  (1)幼年マンガ・絵本
  (2)一コマ・カット
  (3)4コマ
  (4)パノラマ
  (5)その他のその他
第3部 総集編
  ●マンガ家きのう・きょう・あす
  ●マンガ家と健康
  ●マンガ賞
  ●児童マンガ家になるための10の条件
 ■あとがき

 これが「マンガ家入門」の目次である。
 ぼくは、外が暗くなったのも気づかずに、『マンガ家入門』をむさぼり読んでいた。
 なかでも夢中になって読んだのは、石森章太郎の半自叙伝ともいえる第2章の「自己紹介(マンガ家への道)」だった。
 そこには、中学生時代から投稿をはじめ、高校生時代には手塚治虫にもアシスタントを依頼され、そのうえにマンガ家としてもデビューしたという石森章太郎の経歴が書かれていた。
 上京した後の貧乏物語、トキワ荘の生活など、マンガを描くのが好きな田舎の少年の琴線をかき鳴らすには充分な内容が、これでもかというくらいに書きつらねられていたのだ。
『マンガ家入門』は、マンガ入門書であると同時に、石森章太郎というマンガ家ができるまでの〈青春物語〉でもあったのだ。
 ――マンガ家になりたい……!
『マンガ家入門』を読み終わったときには、ぼくの心の奥底に、ほのかな希望の光が生まれていた。
 この頃、同じことを考えていたのは、ぼくだけではなかった。『マンガ家入門』を読んだ日本中のマンガ少年、マンガ少女が、やはりマンガ家になる夢で、胸をはち切れんばかりにふくらませていたのだ。
 全国のマンガ少年、マンガ少女にとって、『マンガ家入門』は、『資本論』や『毛沢東語録』よりも熱い〈魂の書〉でもあったのだ。


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コメント

はじめまして。
「マンガのかきかた」で検索してこちらに来ました。
この石森氏の入門の本、私も読みました。道具も本を見て一個一個そろえてかきました。すごく懐かしいです。
それまでこんな本はありませんでした。誰も漫画のかき方を教えてくれませんでした。むさぼるように私も読みました。


すみません、トラックバックさせていただきました。よろしくお願いします。


>さくちゃんさん

 コメントとトラックバックをありがとうございました。

「マンガで食べられるのか?」というのは、永遠の命題ですよね。



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