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『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(7)

●初仕事は『ワイルド7』と『アモン』

 鈴木プロは、池袋東口の繁華街の一角にあった。
 隣にあるのは古い映画を100円で見せてくれる文芸座。事務所の入っている雑居ビルは、地下にサウナ風呂、1階と2階には当時の呼称でトルコ風呂(現在のソープランド)が入っていた。
 雑居ビルの3階から5階までが貸事務所になっていて、鈴木プロは4階の1室を使っていた。
 3階から上の階へは、ビルの裏手にある鉄製の外階段を昇っていく。
 この階段は、2階にあるソープランドの非常口にもなっていたが、営業前の時間は、掃除のためか、いつもドアが開けっぱなしになっていた。
 廊下の両側に並ぶ個室のドアも開いたままで、頭にタオルを巻いたソープ嬢が、ドアにもたれて煙草をふかしていることもあった。
 カンカンと靴音が響く階段を昇り、4階のドアを開けると細長い廊下があり、その両側に貸事務所のドアが並んでいた。会計事務所もあったが、なんだかわからない怪しげな事務所が多かった。
 怪しさでは鈴木プロも負けてはいない。そもそも事務所内の構造が異常だった。
 事務所は横に細長い部屋で、窓に向けてスチールデスクと椅子が5つずつ。背後の壁にはスチールの書棚が置かれ、大量のマンガや書籍が並んでいた。
 窓の外は狭いベランダで、そこにはプレハブの小部屋が建てられていた。
 この小部屋が社長室だった。事務所の窓を開いて出入りする構造である。窓の両側には、小さな踏み台が置かれていた。

 鈴木プロでの初仕事は、コミックスの写植貼りだった。写植が使われるのは、もちろんマンガのネーム――つまりセリフやナレーションの部分である。
 ぼくに写植の貼り方を教えてくれたのは、少年画報社を退職し、鈴木プロの契約社員として働いていたTさんだった。
 Tさんは、まず、椅子に座る姿勢から教えてくれた。
 まず机にまっすぐに向かって椅子に腰をおろし、身体を机と正対させる。
 次に原稿の底辺を机の縁にきっちりと当てる。身体がまっすぐ原稿に向かうようにするためだ。
 つづいて原稿用紙の吹き出しの中に、ハサミやカッターで切った写植をのせていく。位置が確定したら、写植の裏に写真用セメダインを塗り、あらためて吹き出しの中に貼りつけていく。
 ぼくがはじめて写植貼りをしたマンガは、少年画報社から新書判コミックスとして発売予定の『ワイルド7』だった。
 新書判コミックスが誕生してから、まだ5年も経っていなかった。
 コダマプレスが、マンガの新書判コミックスを発売したのは1965年のことだ。手塚治虫の『ロストワールド』、石森章太郎の『ミュータント・サブ』といった中高生あたりをターゲットにした作品を中心にしてスタートした新書判コミックスの市場に、やがて、朝日ソノラマ、秋田書店なども参入し、マーケットの規模を拡大した。
 自社の雑誌に連載された作品が、他社からコミックスになる状況をこころよく思わなかったのか、講談社、小学館、少年画報社といった少年週刊誌の発売元も、自社ブランドの新書判コミックスを立ち上げつつあった頃である。
「少年キング」連載の人気マンガ『ワイルド7』も、そのような流れのなかでコミックス化が決まった作品だった。少年画報社にとっては初の新書判コミックスでもあったはずだ。
 この当時、マンガのネームには、写植(写真植字)が使われるのが当たり前になっていた。江波先生のところでアシスタントをしていたときも、原稿が遅れると、ネームを印字した写植とハサミと写真用セメダインを持参した編集者が、完成した原稿の吹き出しの中に、小さく切った写植を貼りつけていた。
 だが、不思議なことに、『ワイルド7』の原稿には写植が貼られていなかった。吹き出しの中には、青インクの万年筆でネームが書かれているだけなのだ。
 この当時、マンガを印刷するには、次のような手順を踏んでいた。
(1)マンガの原稿を写真製版し、亜鉛凸版にする。
(2)凸版の吹き出しの位置に穴を開け、ネームを組んだ活字を穴の裏側から突き出し、固定する。
(3)片面16ページ分の亜鉛凸版を並べ、紙を押しつけて紙型をつくる。
(4)この紙型に溶けた亜鉛を流し、16ページ分の亜鉛凸版をつくる。
(5)この凸版を印刷機のドラムにかけ、用紙に印刷する。片面16ページずつ、表裏で2回印刷し、一折(両面32ページ)ができあがる。
 この用紙を4回折りたたんだあと、ノド側を針金などで綴じ合わせ、残る3辺を断裁したものが、本や雑誌となって出荷されるのだ。
 週刊誌の時代になり、マンガ家も多忙になってきたことから、マンガのネームは、写植を切って原稿に貼りつける方法が一般的になっていた。
 原稿に写植が貼りつけられていれば、原稿をカメラで撮影する写真製版の際、カメラの一発撮りで作業が終了する。前記(2)の作業が省略できるのだ。その分だけ入稿から印刷までの時間が短縮されることになる。写植は、入稿時間を短縮できる秘密兵器のようなものでもあったのだ。
 ところが便利な写植にも欠点があった。当時は、まだ写植の料金が高かったのだ。そのため急ぎの原稿以外での写植の使用は敬遠する出版社も多かった。少年画報社も同様で、締切が早いマンガ家の原稿のネームは、写植を使わずに、活字を組む方法をとっているとのことだった。
『ワイルド7』(少年画報社ヒットコミックス)『ワイルド7』作者の望月三起也氏は、人気マンガ家でありながら、締切が早いマンガ家でもあった。決められた締切の数日前には、原稿が上がるのが当たり前らしい。『ワイルド7』の原稿には、いっさい写植が使われていないのは、ここに理由があった。
 ところがコミックスは、すべて、オフセットという方式で印刷されている。平版印刷ともいわれるオフセットは、活字を使うことができず、すべて写植を使う必要があった。そのため『ワイルド7』の原稿に、新たに写植を貼る必要が生じたのだ。
『ワイルド7』では、写植の貼り直し以外にも、めんどうな作業があった。
 コミックスの本文ページは、基本的にモノクロである。雑誌連載時はカラーだったページも、当然、モノクロになる。
 ところが、当時の色分解技術では、4色原稿をモノクロにすることはできたが、フィルター技術の関係で、2色原稿の色分解が苦手だった。そのため、2色原稿をそのまま製版すると、赤色の部分までスミベタになり、画面が真っ黒けになってしまうのだ。
 これでは何が描かれているのか、わからなくなってしまう。そこで2色原稿をモノクロ印刷するときは、原稿を新たに描き直すか、あるいは、原稿か雑誌のページをトレスして、新たな原稿にする方法がとられていた。
 ちなみに2色原稿とは、通常、スミと赤(朱色に近い)のインクだけが使われる。この2色だけで、赤ベタ、スミベタ、ピンク(赤アミ)、灰色(スミアミ)のほかに茶色(赤アミ+スミアミ)を出すことができた。
 トレスとは、トレペ(トレーシングペーパー)を原稿や印刷された雑誌のページに重ね、ペンでタッチを似せながら、そっくりに描き写していく作業のことをいう。
『ワイルド7』でも、2色ページではトレスした原稿が使われることになり、アシスタント経験のあるぼくが、作業を担当することになった。
 雑誌から切り抜いた2色ページにトレペを重ね、てセロハンテープで固定し、墨汁をつけたペンで線をなぞっていくのだが、これがけっこうむずかしい。トレペは、手の脂がつけば、すぐに墨をはじいてしまうし、紙質の関係で、ペンの線もブルブルと震えがちになってしまうのだ。
 それでもなんとかトレスをすませ、これが原稿として使われたのだが、その後、版をかさねた『ワイルド7』のコミックスを見たら、絵が替わっていた。どうやらオリジナルの原稿が使われたものらしい。フィルター技術の進歩で、2色の色分解が可能になったからだろうと推測しているのだが、作者の望月氏が「あんな汚い線の絵では困る」と抗議した可能性もなきにしもあらずである。

 鈴木プロでは、『ワイルド7』の写植貼りと並行して、同じ少年画報社の青年コミックス第1弾の編集もおこなわれていた。「ヤングコミック」に連載されていた上村一夫氏の作品で、題名は『アモン』。上村氏にとっても自作の単行本化は初めてだったはずだ。
 上村氏の雑誌に印刷されたマンガは、いかにもイラストレーター出身者らしい繊細で華麗な線で描かれていた。
 ところが原稿に引かれた上村氏のペンの線は、劇画家アシスタントを経験した目から見ると、そんなにきれいでもない。
 きれいに見える原因は、原稿の拡大率にあった。一般的にマンガの原稿は、実寸の一・二倍から一・三倍ほどの大きさで描かれる。これを縮小して印刷すると、画面がしまって見えるからだ。当然、線も細くきれいになる。
 作画に時間のかかるマンガ家の中には、少しで描く面積を小さくしたいということから、一割拡大(一・一倍)のサイズで描く人もいた。『タイガーマスク』の辻なおき氏や、怪奇マンガで人気を集めた楳図かずお氏が、一・一倍派だった。
 圧倒的多数のマンガ家が一・二倍で描いていたが、石森章太郎先生は一・三倍で描いていた。荘司としお氏が、デビュー当時に一・五倍の拡大率で描いていたことがあるらしい。
 ぼくは後年、自分がマンガ家になってから、上村氏の原稿を見たときのことを思い出して、一・五倍の拡大率で描くようになった作品がある。一ページに入る情報量を増やしたい――つまり、絵の密度を高めたい――という理由からだった。
 最初に一・五倍の拡大率で描いた作品は、『ゲームセンターあらし』である。掲載誌の「コロコロコミック」が、ふつうのマンガ誌より小さなA5判だったために考えついたことだった。


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コメント

読んだ証拠に誤植指摘。オフセットは「平」版印刷です。


 あ、ホントだ。凹版印刷はグラビアのことでした。

 ご指摘、ありがとうございます。



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