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『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(8)

●長谷川法世さんに紹介される

 入社して数日目の夜。
 出版社へ原稿を届けて帰社すると、ひょろりとした眼鏡の神経質そうな男の人が、椅子に座り、社長と一緒に湯呑み茶碗で日本酒を飲んでいた。
「長谷川法世さんだ。知ってるだろ?」
 社長が紹介してくれた。
 もちろん知らないわけがない。長谷川法世さんは、「COM」の常連投稿家で、何度かの佳作入選を繰り返した後、『正午に教会へ』という西部劇のマンガで月例新人賞に入選したマンガ家だ。とはいえ、まだマンガだけで生活するのは厳しい状態で、鈴木プロに籍を置き、読み切りマンガやカットの仕事をしているときだった。
「ども……」
 毛糸の帽子をかぶった法世さんは、照れくさそうに微笑んで、ぴょこんと頭を下げた。
 法世さんは、お酒を飲みながら、ポツリポツリと自分のアルバイト体験を話してくれた。
 その話によると法世さんは、鈴木プロに所属する前、ソープランドでボーイをしていたのだという。ソープランドでは、個室でソープ嬢が使ったゴム製品が発見されると、売春防止法で営業停止になってしまうのだとか。そのため各個室から下水パイプを通り、汚水タンクに流れ込んできたゴム製品を、竹竿の先で水中に押し込む係が必要だった。汚水タンクを覗かれたとき、証拠物件が浮かんでいないようにするためである。法世さんは、そのゴム製品の押し込み係も担当していたとのことだった。
「けっこう情けない仕事でね……」
 法世さんは自嘲気味に笑ったが、ぼくは「そんな仕事もあるのか……」と感心しながら話を聞き、同時に、階下にあるソープランドのことを想像した。

 長谷川法世さんは、その翌年、「月刊ぼくら」が週刊誌化された「ぼくらマガジン」のカット、イラストを一手に引き受けて、猛烈に忙しくなる。住まいも四畳半のアパートから賃貸マンションに変わり、高校の後輩だというアシスタントを雇うまでになった。
 ところが、まもなく「ぼくらマガジン」が休刊してしまい、仕事の基盤を一挙に失うことになった。法世さんは、いちど郷里の九州にもどり、沖仲仕やライブハウスで働きながら、捲土重来を期すことにした。
 再チャレンジしたのは「漫画サンデー」の新人賞だった。ここで新人賞を受賞した法世さんは、同誌で『痴連』という作品の連載が決まって再上京。以前所属していた鈴木プロの部屋の隅に、金属パイプでできたボンボンベッドを持ち込み、そこで寝泊まりしながらマンガを描くようになった。
 法世さんは、「ヤングコミック」などの青年劇画誌を中心に、ハード劇画風の作品ばかり何本も連載を抱え、アシスタントを何人も使うようになるが、その合間に、自分で描きたかったジャンルの作品を描きためていた。
「こんなのを描きたいと思ってさ、暇を見つけては描いてるんだ」
 池袋に借りた仕事場に遊びにいったぼくに、その原稿を見せてくれた。
 すでに連載を何本を持ち、数人のアシスタントを抱え、事務所もかまえるようになっていたプロのマンガ家が、掲載のあてのないマンガも描いてるのだ。ぼくもマンガだけで生活できるようになっていたが、目先の締切をこなすだけで精いっぱいの毎日を送っていたからだ。
 法世さんのマンガは、ソープランドでアルバイトをする青年の苦悩をコミカルに描いた読み切り作品だった。かつて自分がアルバイトで体験したことをマンガにしていたのだ。しかも、その頃たくさん描いていたハード劇画風の作品とは、まったく違った傾向のものだった。
 その作品がやっと雑誌に載ったのは、半年以上もたってからのことだった。
「漫画アクション」の増刊号に掲載され、好評だったその作品は、三回ほどのシリーズになった。
 そして、この作品が母胎となったような青春マンガがスタートする。法世さん自身の思春期をモデルにした作品で、掲載誌は「漫画アクション」。作品には『博多っ子純情』というタイトルがつけられていた。


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コメント

8まで進んでいるのにいまだに編集さんでないというのもなんだかアレではないかと

いや楽しんではいるのですが


 すでに見習い編集者にはなっているのですが……(^_^;)。


いいからこのペースでじっくりお願いします

私も小学○年生の連載ものですがやさんと出会った口です。こういう形でまた楽しませていただけるというのも縁といえば縁なのでしょうか

でもどうしてコメント投稿があんまりないんだろここ


みなさんきっと、じんわり気分とともに静かに読まれているのでしょうね。私も自分と重ね合わせて、ひと時のタイムスリップを楽しんでおります。これからもゆったりとどうぞ。
申し遅れました。直接の接点はありませんでしたが似た業界で生きて来た者です。


 ぼくもそうなんですが、最近、Blogに関しては、RSSリーダーなどを使う人が多く、これが「読むだけ」の傾向を強めているようです。

 また、現在、ここで連載している『仮面ライダー青春期』は、何かの意見を開陳するものではなく、単なる読物になっているのが、コメントが少ない要因じゃないんですかね。

 本来のBlogには、時評メディア、あるいは草の根民主主義のツールとしての機能があると思ってますです。


はじめまして。

こちらに書き込むのは、自分にとっては凄い勇気が要りました。

”コメントが少ない”、とありますが、“この場”に限っていうならばひとつには事実のあまりの凄さに、この間に分け入ってコメントを書くという行為が一般人には難しく感じてしまうのではないかと。

なんていったらいいんでしょう?
私自身、書き込むにあたって『神聖な場所を汚すような文を書いてはいけないな』という、そんな感覚になりました。

今日(2005・12・31)に初めて辿り着きまして、一気に読まさせて頂いておりますが、是非、自分のお気に入りに追加させて頂きます。

追伸
自分もあらし世代でして、一時期、業務用ゲーム関連の仕事をしていました。


>YOUさん

 ようこそ、いらっしゃいまし。

 ちょっとマンガの仕事を再開したり、学業の課題が溜まっていたりで、こちらの更新が滞っておりますが、申しわけありません。

 こちらも少し肩の力を抜いて書き込みしていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。

 YOUさんはじめ、ほかの皆さんにとっても2006年が、いい年でありますように。


あけましておめでとうございます!

もしや、その書き出し、私のブログに訪れていただけたのでしょうか。

しかし、”すがやさん”にコメント頂けるなんて光栄です!
私のブログの2006年最初の記事にさせていただきました(笑)。

さて、調子にのって以下3点ほど書かせて頂きます。

1点目は、ゲームメーカーから資料提供とかはあったのでしょうか?
もちろん”ゲームセンターあらし”の件ですが。
インベーダーやギャラクシアンは“ ドット絵”で表現されておりましたが、あれはご自分でおこしたモノだったのでしょうか?なんかそのへんが気になりまして。
(でも、あればあったでクレジットされるはずですよね?)
話はそれますが、田尻智さんが『ポケモンを創った男』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872338332/250-3671091-7269026)
の文中で「授業中にグラフ用紙にドット絵を起こしてた」なんて書いてらしたです。

2点目は、こちらのリンクについて。
できれば全て”行き来”ができるといいな、と。
すがやさんとあらしの公式ホームページからは
ブログを含め全てに飛べますが、ブログからは他へ飛べない(リンクが無い)のですが、
これは意図があっての事なのでしょうか?
ならば仕方ありませんが。

3点目はジブリの鈴木さんについて
ご存知かもしれませんが糸井重里さんのホームページ、『ほぼ日刊イトイ新聞』(ポータル:http://www.1101.com/)にて、
『ジブリの仕事のやりかた。』(http://www.1101.com/ghibli/index.html)
『娯楽映画の運命。真夏の深夜の『キリクと魔女』座談会より。』(http://www.1101.com/kirikou_talk/index.html)
『時間と空間と中枢神経の映画。鈴木敏夫さんとイノセンスを無邪気に語る。 』
(http://www.1101.com/innocence_talk/index.html)
というコンテンツに参加なさっております。

さて、今後もちょくちょくおじゃまさせていただきます。
全て読破しようと計画を立てていますが、
なんといっても『仮面ライダー青春譜』の続きが楽しみです。



>YOUさん

 あけましておめでとうございます。

 ご質問の件ですが……。

1)インベーダーやギャラクシアンのキャラクターは、ドット絵ではありません。線で描いたものを編集部に頼んで紙焼きしてもらい、それをマンガの画面に貼り込んでいました。キャラクターは、アシスタントが喫茶店のゲーム機を見ながら鉛筆で写し取ったものです。

 当時は、まだゲームについての著作権が明確でなく(映画の延長として考えられるようになったのはパックマン以降のことです)、当初は無断で使っていましたが、いくら何でもそれはマズイということで、編集部を通じてメーカーの許可を取ってもらうようになりました。インベーダーブームの頃は、盛り場にあるゲームセンターが不良の温床などと言われていた頃で、ゲームメーカーの営業マンも肩身が狭い思いをしていたそうですが、『ゲームセンターあらし』が小学館というメジャー出版社の児童雑誌に載ったということで、「はじめて子供に仕事の内容を打ち明けることができました」といった声が多く寄せられました。

 そのせいか、どのメーカーさんも非常に協力的で、一字は『ゲームセンターあらし』にゲームが登場することがステータスのように思われることもあったりで、とても、やりやすかったことを憶えています。

 その後、文庫化や復刻の際にも、登場するゲームのメーカーさんに確認をとっていますが、『あらし』については、どのメーカーさんも好意的で即座にOKしてくださるので、とても助かっていますし、ありがたいことだと思っています。

2)リンクについて

 とくに意図みたいなものはありません。「http://www.m-sugaya.jp/」が当Webサイトのホームページですので、基本的には、ここへのリンクがあれば良いのではないかと思っています。ただし最近は、RSSリーダーに登録したブログなどしか読まない人も多いので、当サイトでも、ホームページ(トップページ)、日記、ブログのそれぞれでRSSフィード(RDF)を配信しています。それぞれのページで更新があるたびにアクセス数が増えますで、RSSリーダーで更新をチェックしている人が多いことがわかります。

3)「ほぼ日刊イトイ新聞」の鈴木敏夫さんのコンテンツについては、目を通しておりました。「ほぼ日刊イトイ新聞」とジブリは、ジブリが2001年に配給に関係した『ダーク・ブルー』という映画でもタイアップしていましたね。
 http://www.albatros-film.com/movie/darkblue/

 このWebサイトは、明後日の1月3日で、公開10周年になります。まだ「Mosaic」などというブラウザでWebサイトを見ていた時代のことです。そんな頃から屋上屋を重ねるように手作りで築いてきたサイトですので、あれこれ不備はあると思いますが、ご容赦を。


>すがやさま

ご丁寧な回答、またまた感激です!

>ドット絵ではありません。線で描いたものを…
そうでした!思い出しました。あのキャラクターは線で囲ってありました。自分の印象では、テレビゲームのキャラクターとほぼ同じ、ということで“ドット絵”だと思い込んでおりました。
うーん、20余年ぶりに明らかになる真実です。

ちなみにインベーダーにハマッていたせいでこの“余”や“興”という漢字が出てくるとあのキャラクターを連想させて困った時期がありました(苦笑)。
“いかにハマっていたか”という話では糸井重里さんとすぎやまこういちさんの対談で、糸井さんは『文庫本を読んでいると行間をミサイルがツー、と落ちていって困った』と。すぎやまさんは『ボクはあの音が耳にこびりついて…』なんて語ってらしたのを思い出します。それぞれ文章と音楽の世界に生きる人という差が浮き彫りになる話で興味深かったです。

ところで、私の生まれは67年でして、そんな事もありまして『仮面ライダー青春譜』の続きが本等に楽しみです。
それから新連載もがんばって下さい。チェックします!



 ぼくらマガジンは「タイガーマスク」が連載されていたのを記憶していますが、イラストやカットが長谷川法世先生だとは。いまのいままで思いもしませんでした。「ぼくら」は立ち読みでジャンプは購入していたと思います。うーむ。

 わたしは岡山人ですが「博多っ子純情」は全巻そろえております。片山まさゆきが「博多っ子雀豪」とタイトルをパロっておりました。六平は早稲田に進学したと思いますが、もしや菅谷先生にも影響が…?

 長谷川先生の少年サンデー連載の「突き屋」は博多ッ子純情のあとだったでしょうか。どんでん返しがはげしすぎて、なんだか突然のおわりだったかと記憶しております。


「突き屋」ですが、復刊ドットコムで現在7票ですね。
 うーむ、少ない。



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