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『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(9)

●ちばてつや氏は、マンガも野球も全力投球

 ぼくが入社した鈴木プロは、いまでは当り前になっている編集の下請けプロダクションの走りだった。ここでは、各社のいろいろな雑誌や単行本の編集を請け負っていた。
『ワイルド7』のコミックスの編集と平行して手伝ったのが、『増刊・少年マガジン』の編集だった。当時、大人気だった『あしたのジョー』『巨人の星』などの総集編をまとめる仕事である。
 下請けの、さらに見習いの編集者とはいえ、『あしたのジョー』や『巨人の星』のナマ原稿を目にすることができるのだ。それだけでも、マンガ家になりたいぼくにとっては、アシスタントをする以上の価値があった。
 もちろんマンガ家の先生のお宅にも、原稿取りなどで、しばしばお邪魔することになる。それはそれで、また楽しい体験だった。
 総集編をまとめるときに困るのは、雑誌掲載時の広告スペースや見開き処理の問題だった。雑誌掲載時に広告用に割かれた1ページの縦3分の1、あるいは横2分の1のスペースが、ぽっかりと空白として開いてしまっているのだ。総集編では、このスペースを埋めてもらわなければならない。
 さらに、連載時のページ数も、偶数ページだったり奇数ページだったりと一定していない。そのため扉をはずして総集編にまとめると、空白のページができてしまうことがよくあった。この空白ページも埋めてもらう必要があった。
 しかし、忙しい先生方に原稿を依頼しても、どうしても目先の連載原稿が優先されるため、描き足しの原稿が遅れることがよくあった。そのため先生がたの仕事場でアシスタントを監視し、原稿のできあがるのを待たないといけないこともあった。もちろん徹夜になることもある。
 だが、それも苦にはならなかった。マンガの技術を知る機会も多かったからだ。

 たとえば川崎のぼる氏のところでは、アシスタントが、アルミのかぶらペンを裏返しにして細い線を引いていることを知った。てっきり丸ペンを使っていると思ったのだが、こんな方法で掛け合わせの斜線などを引いていたのだ。高価な丸ペンを使うのに比べ、安あがりな方法だった。
 ちばてつや氏は、完全主義者だった。たとえば縦1/3の広告スペースを埋める作業でも、縦長の駒をアシスタントの描く背景で埋めておしまい、などということはしなかった。ぶ厚い原稿用紙(画用紙)のコマの両脇を、断面が斜めになるようにカッターでカットする。縦長になった紙の両側に、やはり断面が斜めになるようにカットした紙を貼り合わせ、もとの原稿用紙と同じサイズにしてしまうのだ。
 そのうえで、背景を描き足していくと、そこに広告スペースがあったこともわからない画面になった。
ちばてつや氏の原稿補修術 縦1/3の広告スペースは、背景だけのコマで埋めるマンガ家さんが多かった。どうしても時間のとれないマンガ家さんの場合は、隅にカットを配置するだけですませるのも珍しくはない。しかし、ちばてつや氏は、そのような妥協が許せないようで、面倒な手間とヒマをかけ、広告スペースを消してしまうのだ。
 ちば氏は、カラーの表紙の試し刷りが出たときなども、きちんとご自身の目で確認した。「この色をもう少し強く」とか「ここは、もう少し弱く」と、見習い編集者の前で、みずからチェックしてくれるのである。ぼくは緊張しながら指示を聞き取り、会社に帰ると社長に伝えた。
 ちばてつや氏は、そのマンガのイメージどおりに、誠実の固まりのような方だった。
 この少し前、アシスタントをしていたときに、マンガ家の野球チーム同士の試合に、人数が足りないからと助っ人として参加したことがあった。助っ人として参加したのはマンモスというチームで、対戦相手が、ちば氏ひきいるホワイターズだった。
 場所は石神井公園に隣接する野球場。この試合で、ライト前にクリーンヒットを放ったちば氏が、セカンドを守るぼくのところに突っ込んできたことがある。ぼくは、ライトからの返球を捕球し、タッチに行こうとしたのだが、ちば氏は、そこに猛然とスライディングしてきたのだ。それもスパイクを履いた足を前にして。
 スパイクを履いた野球の経験などなかったぼくは、タッチにいったグラブを弾き飛ばされ、ボールも落としていた。もちろん判定はセーフ。
 そのときグラブをしていた左手が痛むのに気づき、目をやると、左手の甲から血が流れているではないか。ちば氏にスパイクされた部分から出血していたのだ。
 結局、セカンドの守りは別の人に交代してもらい、ぼくは敵軍のベンチで手の治療を受けることになった。ちばてつや氏の家族やアシスタントが応援に駆けつけていて、救急箱まで用意されていたからだ。
 ぼくの手をオキシドールで消毒し、赤チンを塗ったあと、包帯を巻いてくれたのは、ちばあきお氏の奥様と、当時、ちばてつや氏のアシスタントで、まもなく「なかよし」でデビューし、『でっかいちゃんと集まれ』などで人気を博す、あべりつこ氏であった。
 話が横道にそれたが、このエピソードでもわかるように、野球でも全力疾走なら、仕事でも手を抜かないのが、ちばてつや氏であった。マンガ家生活は長いが、そのわりに作品数が多くない理由はここにある。1本の作品の連載期間が長いせいでもあるが、あのような誠実なマンガづくりをしていたら、とても大量生産などできそうにない。


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コメント

>アルミのかぶらペンを裏返しにして細い線を引いている

ああなるほど

ちば氏の画面拡大法って映画をTV放映するときのと逆なわけですね。

いぜんアマデウスの映画をTVで観たとき、オリジナルは横長の画面だから両はじっこが切れてしまうのに、TVの3:4(でしたっけ)画面で眺めてもあんまり違和感がなかったことに感心したことがあります。撮影監督さんはTVでの視聴を想定して構図を割っていたのだと気がつきました。


斜めに切って張るというのは具体的にはどういう手順なのでしょうか


 古い記憶なので少しアヤフヤでしたが、先ほどの図解は間違っていたような気もします。解説図を描き直しましたので、リロード(再読込)してみてください。

 最初の原稿の両側を、カッターで斜めに削ぐように切り、それを別の原稿用紙の上に載せて貼り合わせ、絵を描き足していた……というのが正解だったかもしれません。

 ちば氏の原稿用紙は、1ミリくらいありそうな分厚い画用紙で、ふつうにカッターで切って重ねると、影が出てしまうため(印刷に出る)、このような方法をとったものと思われます。

 一般的には、見開き用の原稿用紙をつくる場合もそうですが、カッターと定規で直角状態に用紙を切断し、新しい用紙を右と左からくっつけた状態で、裏からセロハンテープで固定する……という方法をとっていましたね。うちもマンガ家時代は、そうでした。ただしセロハンテープは、何年も経つと劣化して、薄い原稿用紙だと、茶色に変色したノリの部分が、原稿の表側にも出てきてしまうのが困りものでした。




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