モバイルコラム

** No.003 **
インターネットは
トイレの落書き
(99/07/19)
「宮本武蔵には子供がいたか、いなかったか。国鉄の駅名で答えよ」
 突如、便意をもよおして飛び込んだ池袋駅のトイレの個室で、よいしょとしゃがみ込んだとたん、目の前に、こんな落書きを見つけて、頭をひねったことがある。もう30年以上も前のことだ。国鉄とは、もちろん現JRのことである。
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 例の東芝サポート問題に関連して、TBSテレビ「NEWS 23」で筑紫哲也氏が「インターネットはトイレの落書きも同然」と述べたことが、インターネットのあちこちで波紋を呼んでいる。しかも波紋の大半は、筑紫氏に対する抗議の声だ。
 実はぼくも、インターネット――とくにホームページは、トイレの落書きに近いと考えている。「淫多ネット」であり「マル痴メディア」が実情だろうとさえ思っている。ただしこれは、ぼくが実際に利用した上での「主観」によるものだ。
 たとえば原稿を書くための「資料」が必要なときは、個人が作ったホームページを検索するよりも、有料のデータベースを利用したほうが、経費はかかるが短時間で必要なデータを収集できる。とくに原稿の資料にしたり、あるいは参考にするときのデータは、裏づけの取れているものでないと安心して使えないからだ。
 とはいえ、これがインターネット先進国のアメリカになると、事情は大きく異なってくる。政府機関や学術機関、企業などが、大量の一次資料をホームページで公開しているために、インターネットでも有用な情報を簡単に入手できるからだ。日本語の有用な情報が少ないのは、やはり「情報公開」の概念の違いによるものだろう。
 また、「有用な情報」も個人個人で大いに異なってくる。ぼくはF1レースの情報が欲しかったがために、1985年からパソコン通信を始めたが、当時、F1が好きなのは、一部の好事家に限られていた。つまりオタクな趣味だったのである。そのオタクな情報を、これまたオタクな趣味と見られていたパソコン通信で、収集したり発信したりするのだから、まさにオタクの2乗である。奇人変人パンダ扱いされるのも当然だった。
 当時のF1情報も、興味のない人から見れば「トイレの落書き」だったに違いない。しかし、ぼくにしてみれば、ときには寝食をも忘れてしまうほど、F1レースの行方は気になってしかたのない存在だったのだ。
 ところがF1人気がブレイクし、パソコン通信もメジャーになってくると、「さすが、すがやさん。先見の明がある」ということになる。世の中、実にいい加減なものなのだ。
 情報の価値というものは、個人個人の主観によって異なるし、また、時の移ろいとともに変化していくものだ。だから筑紫氏が「私にとって」と枕詞をつけて、「インターネットはトイレの落書き」というのは少しもかまわない。しかし筑紫氏は、他人が話していたことを、伝聞として伝えたに過ぎないのだ。このあたりがジャーナリストとしては、ちょっと残念に思う。せめて、自分でインターネットに接続したうえで、自分の言葉で語って欲しかった。
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 ところで冒頭のトイレのクイズの解答は、背後の壁に書かれていた。
 その答えは「武蔵小金井(武蔵、子がねえ)」。
 こんな「くだらないクイズ」を読んだおかげで、個室の中で、つい笑い転げ、出るはずのものも一瞬ストップしてしまったのであった。ホントに「くだらないオチ」で、どうもスミマセン。(END)
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