モバイルコラム

** No.009 **
高校野球と
ナショナリズム
(99/08/19)
 連日、甲子園では高校野球の熱戦がつづいている。仕事中もチラチラと横目でテレビを見てしまうため、なかなか原稿が進まない。困ったものである。
 ぼくは団塊の世代の端っこに連なる年齢で、学生運動や学園闘争が吹き荒れていた時代に高校生だったためか、内心、高校野球をバカにしているところがあった。選手たちは、みんな坊主頭で「オース、オース」と叫ぶだけ。監督のいうことに対しても「オース」で、まるでロボットのように見えたからだ。
 とはいえ高校野球をまるで見なかったわけではない。今年、青森山田高校が、青森県勢としては30年ぶりに3回戦まで進出したことが話題になっているが、30年前の青森勢といえば、太田幸司投手を擁して決勝まで進んだ三沢高校のこと。延長18回で決着がつかず、翌日に引き継がれた試合は、武蔵小金井の喫茶店でテレビの前に釘付けになって見ていたのを覚えている。漫画家の先生のアシスタントになるため、東京に出てきた年の夏のことだった。
 それでも「高校野球なんて軍国主義とナショナリズムの象徴だ」というのが、当時の若者世代の認識で、ぼくも、さほどの関心を持っていなかった。
 ところが20年前の1979年、その事情が一変する。甲子園など縁がないと思っていた我が母校の静岡県立富士高が、どうした風の吹き回しか、県大会で優勝してしまったのだ。ちょうど所沢に小さな建売住宅を買った直後で、ローンの支払いにあえいでいたときだったのに、クレジットカードで10万円の借金をして、甲子園まで応援に出かけてしまったのだ。それも東京から直接出かけたのでは面白くないということで、郷里に戻って地元から出発する同級生の仕立てた応援バスに乗ることにした。
 バスに乗ってみると、高校生時代は学園闘争ごっこに明け暮れ、大学に行ってもヘルメットをかぶり、ゲバ棒をふるっていたような同級生がゴッソリ。高校野球をバカにしていたような連中が、母校の甲子園出場で、みな、郷土愛に目覚めてしまったようなのだ。もちろんぼくも、そのひとりである。
 歴史のある学校なので、応援バスの数は史上最大の124台。夜行で出発したバスの中は、当然ながら酒盛りになり、時間調整のために茨木のサービスエリアにバスが駐まったときに少しだけ仮眠をとって、いざ甲子園へ。
 真夏の太陽に照らされながら名物のカチ割り氷をストローですすり、応援に声を枯らす。母校は9回まで試合をリードし、校歌を印刷した紙までスタンドで配られた。ところが9回最後の守備で、キャッチャーがバックホームのボールを落球し、同点となって延長に。結局延長15回で母校は敗退した。
 ほとんど徹夜状態での炎天下の応援で疲れ果てたぼくは、同級生たちと、快適な新幹線で帰ることにした。甲子園から大阪に向かう阪神電車の中でも、新幹線の車内でも同級生たちと出会ったが、やはり、いずれも高校野球など小馬鹿にしていたような連中ばかり。甲子園の高校野球という夏の恒例のイベントは、日本人に郷土愛を目覚めさせ、育ませる魔力を持っているらしい。
 以来、夏になると、新聞で母校の県予選での戦いぶりをチェックする習慣がつき、いまに至っているわけである。高校野球が、日本人の郷土愛、ひいてはナショナリズムを育むためのシステムとして考案されたものだったとしたら、実に凄いシステムだ。でも最近は、丸刈りの選手も減っているし、選手たちも自主的にプレイしているようで、昔の高校野球に比べると、ずっと安心して見ていられる。そのせいか、軍国主義復活の象徴だなどという声も聞かれなくなった。
 郷土愛にしても祖国愛にしても、それはきっと、遠くにあればあるほど、そして年齢を経れば経るほど思いが募る、素直で素朴な感情なのだろう。50に手が届く年齢になってみると、そんなことを考えたりもする。でも、くそ、我が静岡県代表の静岡高校は、昨日、負けちまったではないか。ちとクヤシイぞ。(END)
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