すがやみつる
モバイルコラム ** No.013 **
マンガの「線」
(99/10/31)
 かつてマンガは「線」で描くものだった。とくに子供向けの雑誌は、仙花紙(って知ってます?)のようなザラ紙に亜鉛凸版で印刷するものだから、繊細な線を引いても印刷では表現できず、自然、シンプルな線が要求された。
 宮谷一彦に代表される細い斜線のかけ合わせが多用されるようになったのは、1960年代の終わりに登場した青年コミック誌の用紙が上質なものであったことと無縁ではなかったろう。少年誌では、あいかわらずシンプルな線が求められていたのだが、「COM」で衝撃のデビューを果たした宮谷一彦が、その直後、「少年サンデー」に作品を発表したときは、その細かい描線のために、編集部は良質の紙を用意するという破格の待遇を見せていた。
 しかし、ここで扱いたいマンガの「線」とは、宮谷のような劇画系リアリズム描写のための陰影をつけるための線のことではない。キャラクターや背景の描線そのもののことだ。
 マンガの描線は、大別すると2種類になる。「なぞる線」と「走る線」だ。細かく分ければ「引っ掻く線」「食い込ませる線」などもあるが、これらは「なぞる線」に近い。
「なぞる線」のマンガ家は、タマゴ型の顔の輪郭に十字線で眉、目、鼻、口の位置を決めてから精細に下絵を入れ、その上をペンでなぞっていくことが多い。反対に「走る線」のマンガ家は、下絵もクロッキーのごとく動きの線で捉えていく。その代表は、なんといっても石ノ森章太郎だろう。
『サイボーグ009』の髪やマフラー、あるいはキャラクターの着ている服の裾などは、いずれもフンワリと柔らかく、しかも不定形で、子供にはマネしにくいものだった。児童マンガが中心だった時代に、子供たちの大きな支持を得られなかったのも、この絵柄に一因があったはずだ(吹き出しの形から手の形に至るまで、子供にはマネのできない線だった)。
 石ノ森の「走る線」がもっとも効果を発揮していたのは、『佐武と市捕物控』『ワイドキャット』『009ノ1』といったアダルト向けの作品だろう。小島功、棚下照生といった「線自体に色気が感じられる」大人向けに似た「線で描く」マンガ家でもあったのだ。
 いま、そんな「線で描く」マンガ家は、ストーリー漫画界では少なくなっている。アシスタントを使った工房制を取っているため、個性の出てしまう線の勢いや流れを優先した絵は、どうしても減少してしまいがちなのだ。
 いま、「線」を感じさせるマンガ家はといえば、黒鉄ヒロシ、いしいひさいちの名前が思い浮かぶ。いずれも大人マンガ(Cartoon)の系列に連なるマンガ家である。石ノ森章太郎も、確実に、その延長に連なるマンガ家だったはずだ……なんてことを『世界まんがる記』(三一書房/中公文庫)の文章に添えられた自作イラストを見ながら考えたりした。
(文中敬称略)
(END)
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