すがやみつる
モバイルコラム
** No.014 **
マンガは文化?
(00/02/17)

 最近、日本が海外に輸出できる産業といえば、ゲームにアニメにマンガ(MANGA)だそうで、「マンガは文化である」と胸を張る人が増えてきた。マンガのファンも業界関係者も含めてだ。
 いまやマンガを読んだり描いたりしても、少しも後ろめたいことはなく、政府や自治体、企業の出版物にもマンガが使われる時代になっている。マンガ家も編集者も、堂々と世間を渡れるようになったのは、こんなマンガの隆盛があったからだろう。
 しかし、マンガが社会に認知されるようになるにつれ、マンガのパワーが衰えてきたのではないか……近頃そんな危惧を抱いている。
 かつてマンガは、PTAからは目の敵にされ、文学や小説からは一段も二段も下に見られていた。これは編集者にしても同じで、たとえ売り上げはマンガよりも低くとも、小説の編集者の方が一段上だという気概と誇りを持っていた。
 反対にマンガの編集者は、接待で銀座に酒を飲みにいくこともなく、マンガ家の仕事場に泊まり込み、遅れた原稿にシコシコとネームの写植を貼りつけていた。その写植の切れ端がズボンの折り返しに挟まっているのがデートのとき婚約者に見つかり、婚約を破棄された男性編集者もいたという。60年代にあった実話だそうだ。相手の女性にいいところを見せようとして、マンガ雑誌の編集者であることを内緒にしていたのがバレてしまったのである。
 相手の女性は、その編集者がウソをついたことに怒りを覚えたのか、それともマンガの仕事を社会的地位の低い仕事だと思っていたのか、それは定かではないが、少なくとも30年ほど前までは、マンガ雑誌の編集者には、世間体をはばかるようなところがあったのも確かだ。1970年の春、講談社の就職内定者の中に、「少年マガジン」を配属先の第一志望にあげた学生がいて、当の「少年マガジン」編集部の中で、「今年は変なのが入ってくるぞ」と話題になったこともある(ぼくは、その現場にいた)。講談社の志望先としては、「現代」「群像」「週刊現代」などの人気が高く、「本当は、こんなところに来るはずじゃなかったんだ」とボヤくマンガ雑誌の編集者も少なくなかったのだ。
 マンガが社会的な地位を獲得したのは、マンガで育った世代(=団塊の世代)が社会に出てきてからだ。大人になってもマンガを読み、自分の子供たちがマンガを読むことにも抵抗がない世代である。それがマンガを巨大ビジネスに押し上げたともいえるだろう。
 マンガに抵抗のない世代が社会の中枢を占めるにつれ、社会から虐げられてきたマンガも陽の当たる場所に出るようになった。マンガ家も、少し人気が出ればコミックスの印税で安定した生活ができるようになり、売り上げの多くを担うマンガ編集者も、次第にマンガ編集者であることに胸を張るようになった。
 手塚治虫やトキワ荘グループのマンガ家たちが、なんとかマンガを社会に認知させようと悪戦苦闘し、新しい実験や試みを繰り返したのも、文学や映画に対するコンプレックスを抱きながらの上昇志向があったからだろう。
 その結果、確かにマンガの地位は上がり、世間から白い眼で見られることもなくなったが、反対に、マンガの内包していたコンプレックスも払拭され、それが活性化を殺ぐ原因となっているのではなかろうか。
 かつても「マンガは文化だ!」と叫ぶ人たちがいた。だがそれは、コンプレックスの裏返しのツッパリでもあった。「文化になりたい!」というのがホンネだったのだ。
 しかし、いまは違う。堂々と胸を張り、「マンガは文化だ!」と叫ぶ人が多いのだ。それは商業マンガ家や編集者だけでなく、同人マンガ家に至るまでだ。その結果として、マンガが原初から持っていたパワーやエネルギーが失われているのではなかろうか。
 政府やマスコミが、「いまの日本経済の疲弊の原因は、わかりやすいマンガばかり読んで育った子供が社会の中枢に出たからだ」というようなマンガ悪人論でも唱え、マンガに弾圧でも加えた方が、マンガの衰退を救うことになるのではないか……。最近、そんなことを夢想することがある。(文中敬称略)
(END)
1.旧コラム一覧
2.i-Modeトップ