2008年05月の日記

2008年5月31日 (土)内田勝氏、亡くなる

 かって「週刊少年マガジン」の編集長として、まさに一世を風靡した内田勝氏が亡くなったらしい。

 ぼくは、直接、言葉を交わしたことはないが、1969年から70年にかけて編集プロで働いていたとき、「増刊少年マガジン」や「週刊ぼくらマガジン」の仕事で編集部に詰めているとき、何度か遠くからお姿を拝見したことがある。

 風呂の中でも本を読む姿をテレビで拝見したこともある。自分の家を買って風呂のある生活になったとき、さっそく風呂で本を読むようになったのは、間違いなくテレビで観た内田氏の真似だった。

 10年ほど前、内田氏が編集長をされていた雑誌からカットの仕事の依頼を受け、3点ほど描いたことがあったけれど、あれはゲーム関連の仕事だったかな?

 そうだ。買い損ねていた内田氏のご著書を買って読んでみよう。

 1960年代の終わり、内田氏は、日本のマンガを一段と高いところに押しあげた方でもある。お疲れさまでした。

『「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた』『「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた』(内田勝/三五館/1998年5月刊/1,890円)


2008年5月30日 (金)▼謎のシングルレコード

『ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット』A面『ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット』B面『さらば涙と言おう』

 今日、家で掃除をしていたら、画像のようなシングルレコードが出てきた。なぜ、こんなものがあるんだろう? 買った覚えがないのに……。

 ちなみに、ぼくが1969年に上京以来、自分で買ったシングルレコード(最近、こういうものがあったことも知らない世代が増えているらしい)は、以下の2枚だけ。

◆『蝶は飛ばない/もう一度人生を』(ゴールデン・カップスの最後のシングル)
◆『私は泣いています』(リリィ)

『さらば涙と言おう』は、森田健作主演のテレビ映画『おれは男だ』の主題歌ですが、原作のマンガを「別冊セブンティーン」に連載していた津雲むつみさんとは、昔、何度か麻雀したことがあります。いつも女性3人に男1人の組み合わせで、なんか形成が不利だったなあ……。

2008年5月29日 (木)▼久しぶりにYahoo!オークション

 先日、久しぶりにYahoo!オークションに参加し、戦闘機のプラモデルを落札。スタートは800円だったのに、締まる少し前になったら自動入札で10円刻みで上げてくるライバルが……。でも2回だけで断念してくれたため、860円で落札できました。

 落札したのは「スパッドXIII」という第一次世界大戦時に使用されたフランス製の戦闘機。パッケージのイラストは、アメリカ陸軍のエディ・リッケンバッカー一等軍曹が搭乗したもの(たぶん)。

 このリッケンバッカーという人は、第一次世界大戦直前までインディ500マイルレースに4回出場し、1916年、すでに第一次世界大戦が始まっていたヨーロッパにレーシングカーを探しにいき、イギリスでスパイ扱いを受けたりします(ドイツ系アメリカ人だったため)。

 そんなこともあって、ほかのドイツ系アメリカ人のように、Rickenbacherだった姓をRickenbackerとアメリカ風に変更。アメリカが第一次世界大戦に参戦し、陸軍総司令官付きの運転手としてフランスに渡ると、ここで飛行機の操縦を習い、戦闘機のパイロットになります。本当はメカニックの腕を買われて整備員になる予定だったらしいのですが。

 戦闘機パイロットとして、あの「レッドバロン」などと戦い、計26機のドイツ機を撃墜して、アメリカ軍トップの撃墜王になります。100機以上の撃墜数が多かった第一次大戦のヨーロッパで26機……というのは少ないのですが、目撃者がいて、かつ、単独で撃墜したものしか撃墜数にカウントされなかったからだとか。もし、共同撃墜や不確実を加えていれば、100機は超えていたろうといわれています。

 第一次大戦後は、自動車メーカーを起こしたり、イースタン航空の経営者になったり。そしてインディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーナーにもなってしまいます。

 第二次大戦が始まった頃、ダグラスDC-3旅客機で着陸に失敗して怪我をしたり、1942年には、ハワイからボーイングB‐17「フライングフォートレス」爆撃機を操縦してダグラス・マッカーサー大将のもとへ密書を運ぶ途中、航法士のミスで太平洋に不時着水。1ヶ月ほどもゴムボートで漂流した後に、味方に救助され、奇跡の生還を果たします。

 戦後はスピードウェイをトニー・ハルマンに売却し、航空会社の経営に専念していたようですが、アメリカでは空の英雄として名前を知られ、このようなプラモも販売されたりするわけです。落札したプラモデルはフランスのレベル社製で発売は日本のタカラ。当然、パッケージは日本向けになっています。

 リッケンバッカーといえばエレキギターが有名ですが、そちらの創始者グループのひとりがエディ・リッケバッカーの従兄弟にあたるのだとか。ギターの販売を開始するとき、エディの名声を借りようと、ギターのブランドもリッケンバッカーになったのだそうです。

2008年5月28日 (水)▼中央図書館へ

 ちょっと調べたいことがあって、夕食をすませたあとの午後7時過ぎになってから、早稲田大学の中央図書館に向かう。自宅で検索してあった本を借り、さらに、専門書のコーナーを眺めて歩く。何かネタが見つかるかも……と期待してのこと。ちょっとひらめくことがあり、関連した数冊の本を借りる。

 帰途、久しぶりに高円寺に寄り道。

 写真は、中央図書館に行った帰り、通り抜けた夜の早稲田大学キャンパス。手前が大隈重信公銅像。向こうが大隈講堂。

2008年5月27日 (火)▼所沢キャンパスへ

 昼過ぎ、早稲田大学所沢キャンパスの事務局に用事があって、電車とバスを乗り継いで出かける。途中、小手指駅で、同じ用件でキャンパスに行ってきたeスクールの同期生と遭遇。バスの時間が迫っていたので、二言三言話しただけで別れる。

 所沢キャンパスの事務局で、とりあえず用事をすませたあと、学食で田舎うどんの食事。ゼミで生物系の実験に来ているeスクールの同期生に会う。

 その後、図書館に行き、借りていた本を返す。早稲田の中央図書館で借りたものも含め、全9冊。うち1冊は資料に使いたいため、図書館内でコピーを取ってから返却。借りたい本もあったが、検索するとあるはずの本がない。図書館内で誰かが読んでいるのかなあ……。

 図書館のあとは、木の食堂(山小屋風のつくりになっている)内にある牛丼の松屋でセルフサービスのソフトクリームを購入し、自分でクルクルとコーンに落として食べる。180円也。

 ノートパソコンを開いて少し原稿を書くも、睡眠不足で眠くてたまらない。教室で通学生向けの授業をしていたゼミ担任のK先生に挨拶してから帰宅。途中、電車の中で爆睡した。

2008年5月26日 (月)▼帰京&寝ておわる

 昼前に自宅に到着。それからビールを飲んで寝る。起きたのは夕方。それから今週のeスクールの授業を受講。深夜までに課題も終える。

2008年5月25日 (日)インディ500のテレビ解説

 今年も「GAORA」で中継させるインディ500のテレビ解説を担当するため、東海道新幹線「のぞみ」号で大阪・梅田にある「GAORA」のスタジオへ。

 先にホテルに入って仮眠をとったあと、午後11時にスタジオに入り、打ち合わせとリハーサル。その後、午前1時から本番。雨は降らなかったがクラッシュが多く、放送が終了したのは午前6時。予選も含め5時間というのは優秀な方かもしれない。

 フォーミュラ・ニッポンのレースに出場していた松浦孝亮選手も無事に到着し、一緒に解説役を担当したが、いやあ、松浦選手の解説が面白い。隣にいて、つい聴き入ってばかりいた。雨も降らなかったので、今年は出番がありませんでした。

 そのまま午前7時の「のぞみ」で帰京する。

■購入メモ

『日本の名レース100選 (013) (サンエイムック―AUTO SPORT Archives)』『日本の名レース100選 (013) (サンエイムック―AUTO SPORT Archives)』(イデア/2006年7月刊/980円)........ちょいと確認したいことがあって購入することに。編集長の林信次さんは元気かなあ?


2008年5月24日 (土)『芸人学生、知事になる』(東国原英夫)

『芸人学生、知事になる』『芸人学生、知事になる』(東国原英夫/実業之日本社(じっぴコンパクト)/2008年5月刊/800円)........レビューは旧刊で


 一昨日、新宿まで打ち合わせで出かけたとき、少し時間があったので三越デパート上のジュンク堂新宿店に飛び込み、新書のコーナーで見つけたのが、この本。著者は、もちろん、あの「そのまんま東」こと宮崎県の東国原英夫知事。2004年に出版された『芸人学生』という本に、まえがきとあとがきだけ加えて改題した本だ。

 不祥事を起こし謹慎していた期間に大学受験を決意し、受験勉強のため塾にも通って2000年に早稲田大学第二文学部に合格し、4年後の2004年に卒業すると、そのまま政経学部に入学した芸人学生の体験談である。

 4年前に読んでいたら「ふーん」で終わっていたかもしれないが、社会人学生になったいま読んでよかった。どこもかしこも「そうそう」とうなずくところばかりで、うなずきすぎてクビがムチ打ち症になりそうだ。

 どんなところにコックンとなったかというと、それは「社会人学生」について書かれたところ。第二文学部は(第一文学部も)2007年から文化構想学部に再編された関係で、現在、残っている学生を除き、新入生はとらなくなってしまったが、もともと社会人学生のために開かれた学部で、夜間の開講が目玉になっていた。古くは吉永小百合やタモリ(タモリは除籍)が学んでいたことでも知られている。

 この本に出てくる学生生活の部分は、主に、この二文に関してのものだが、たとえば、「社会人学生と女性」という章がある。

明確な目的意識をもつ人は性根が違う

 学業に対する社会人学生の貪欲さはすごい。
 僕も相当な覚悟で入学したつもりだが、予想以上に気合いの入ったライバルたちがまわりにはいた。聞きしにまさるというやつだ。
 働きながら通っている人も仕事を辞めてきた人もいる。職業やキャリアは多彩だ。一般のOLや公務員はもちろん、元スチュワーデス、会計士、社労士、看護師、出版社勤務、心理療法士、画家、税理士、そしてお笑いタレント……、実にバラエティに富んでいる。
 大学に通うといったら会社をクビになった中年男性がいた。入学が原因で離婚したという人が男性にも女性にもいた。この時代に食うや食わずで苦学している学生もいた。
「世の中にはこんな人たちがいるんだ」
 20年近く芸人の世界しか知らなかった僕は、実社会で生きてきた多種多様な人たちが新鮮だった。まるで“人種のるつぼ”といった印象だった。価値変革をめざすうえで、貴重なモデルが身のまわりにたくさんあった。
 彼ら彼女らは強烈なモチベーションと、明確な目的意識をもっていた。
 (中略)
 目的意識をもった人間の集まりは刺激的だ。教室内はエネルギーが満ちて、空気がピリピリしている。同じ空間に身を置くだけでこちらも緊張がみなぎる。学問するには、これほど適した環境はなかった。
 (後略)


 この文章のあとにつづく章のタイトルは、「社会人学生は授業料の重みを知っている」と「21世紀は明らかに女性の時代だ」。同じ社会人学生が中心の早稲田大学人間科学部eスクールに学ぶ学生なら、この文章だけでも、クビを縦にふりたくなる気持ちが理解できるのではなかろうか。

 もっとも最後には、こんな文章もある。

 学問はわざわざ大学に通わなくてもできる。本を読んだり、通信教育やインターネットを利用したり、学ぶ手段は増えてきた。だが、僕は大学に通うのが好きだ。あの空間が好きなのだ。ひとりでコンピュータに向かって勉強するのはどうも性に合わない。自分の足で歩いて通い、教授や仲間と同じ空間を共有するのが刺激になる。熱心に語る教授を見つめ、心の中で対話する。あるいは、教授やほかの学生たちとディスカッションする。そういったオーソドックスな勉強法が僕には向いている。

 この意見は正しい。実際にキャンパスに足を踏み入れていると、よけいに、そう思う。
 でも、インターネットを使った学習にも利点がないわけじゃない。そもそも、mixiなども使って学生同士でコミュニケーションをとっていると、「ひとりでコンピュータに向かって勉強する」という印象は、ほとんどない。

 著者は、本来、卒業研究(卒論)の必要がない二文で、あえて卒論を出す道を選んだ。テーマは、故郷の市町村合併。この体験も知事への布石になったようだが、フィールドワークの実際がどんなものか、その雰囲気を知ることができた点もプラス。

 生真面目な性格なんだろうと思うが、ちゃらんぽらんに授業を受けるのではなく、正面から体当たりで学業に取り組んでいるのがすごかった。

 ちょっと興味本位で買ってみた本だが、読みはじめてみたら、我が身をかさねて一気読み。早稲田大学人間科学部eスクールの皆さんも、社会人学生をめざす皆さんも、よかったら、ぜひ、ご一読を。

2008年5月23日 (金)▼クリスティー・ヤマグチ?

 インディ500のサイトを見ていたら、今年のスターター(スタートのときグリーンフラッグを振る役)にクリスティ・ヤマグチが選ばれたとのこと。どこかで聞いたことのある名前だなと思ったら、1992年アルベールビル冬季オリンピックのフィギュアスケートで、伊藤みどりをくだして優勝した日系アメリカ人の選手でした。

 アメリカで人気の「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」というダンス番組(インディ500と同じABCが放映)で10週勝ち抜きを果たし、6回目のチャンピオンになったのだそうで、それで抜擢されたようです(本来はボクシングの世界チャンピオンの予定だったが、身内に不幸があって参加できなくなったため)。



 こんな画像を見ると、オリンピックで金メダルを獲った頃とはイメージがまるで違います。16年も経っているんだから、しかたがないか。

 ちなみに、このダンス番組の前回の優勝者は、インディカーシリーズで活躍するエリオ・カストロネベス。こちらもYouTubeで芸達者な映像がたくさん見られます。



2008年5月22日 (木)▼書店めぐりと打ち合わせ

 午後、郵便局に寄ってから打ち合わせのため電車で新宿へ。時間があったのでジュンク堂新宿店に寄って買い物。大型書店があれば、2時間でも3時間でも時間はつぶせる。おかげでゆとりがあったはずの待ち合わせ時間が、あっというまに迫る。食事もしてなかったので立ち食いうどんを掻き込んで、打ち合わせ場所のホテルのロビーへ。

 打ち合わせは、まもなくスタートする「オタクの電脳blog」について。とりあえずテーマは自由でかまわないようなので、あれこれ試してみることにする。こちらがやるとすると、「オタク前史」とか「『仮面ライダー』の頃」とか……といったあたりでしょうか。

 お土産に、同じblogで執筆予定の岡田斗司夫さんと森永卓郎さんのオタク対談本をいただいた。語り下ろしの本なのでスイスイ読むことができ、帰りの電車内で読了。へえ、森永さんって、こういう方だったのか。ほかの本も買ってみます。

■本日いただいた本

『オタクに未来はあるのか!?―「巨大循環経済」の住人たちへ』『オタクに未来はあるのか!?―「巨大循環経済」の住人たちへ』(森永卓郎・岡田斗司夫/PHP研究所/2008年5月刊/1,155円)


2008年5月21日 (水)▼今日も書類書き

 う〜ん……と呻吟。

2008年5月20日 (火)▼う〜ん……

 とある書類を書いていて、呻吟しています。締切は来週なんですが、でも、先にチェックを受けなければいけない。

2008年5月19日 (月)▼「オタクの電脳blog」と映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』

 今日は、まもなくスタートする「オタクの電脳blog」というオンラインサイトの発表があったそうで、インプレスの「インターネット・ウォッチ」にも紹介されておりました。

 オタキングの岡田斗司夫さんの推薦で、blogの執筆陣に加わることになったもの。スタートは6月くらいかな?

 午後は、早稲田大学の早稲田キャンパスへ。先日、早稲田大学のホームページで鑑賞者募集があった映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の上映会募集に応募したら、運よく当たってしまったもので、本日、その上映会に出かけたというわけです。

 それにしても、昨年秋には125周年記念の歌舞伎『勧進帳』公園にも当選するし、なんだかクジ運がいいみたい(実は、昨年の4月には、当選メールが届いていたのに気づかず、国際テニス大会開催記念のポロシャツをもらいそこねたこともありました)。早稲田大学とは関係ないけど、日本推理作家協会のビンゴでも1等賞を当てているし。そろそろ宝くじでも買ってみようかな(笑)。

 映画は、『勧進帳』が上演されたのと同じ大隈講堂。2人分のチケットが当選したので、eスクールの学友に声をかけたところ、女子学生(既婚、高校生・大学生の子どもあり)が一緒に鑑賞してくれることになりました。

 太平洋戦争で敗色が濃くなってきた昭和18年10月16日、すでに六大学リーグも解散を命じられていて、野球の試合ができなくなっていた早稲田、慶應両大学野球部の選手が、早稲田大学の戸塚球場(後の阿部球場)で、最後の早慶戦を戦った事実にもとづく映画です。

 もう少し紆余曲折があってもいいかなと思ったところはありますが、でも、いい映画です。上映中、暗闇の中では、すすり泣きの声や嗚咽まで聞こえてきました。上映後、挨拶に立った森元首相も、ハンカチを涙で濡らしたと話しておりました。隣に座っていた学友の女性も、映画に出てくる学生たちと同年代の男の子がいるだけに、ハンカチを目に当てながらの鑑賞でした。

 映画の上映後には、神山征二郎監督のほか、出演していた渡辺大、原田佳奈、宮川一朗太、柄本佑らのキャストのほか、早稲田大学の教授2名、最後の早慶戦の当日、慶應チームの一員としてグラウンドに立っていた方1名が参加してのシンポジウムも開催され、興味深い話を聞くこともできました。会場からは、最後の早慶戦の少し前に卒業したという早稲田野球部OB(90歳だとか)からの感激の声も伝えられ、実に意義ある半日となりました。
『ダイマナイトどんどん』表紙
 帰宅してからチラシのスタッフリストなどを見ていると、この映画の脚本を書いたのは古田求氏。この方のシナリオのデビュー作は『ダイナマイトどんどん』(1978)という大映映画ですが、この映画のマンガ化を担当したのは、誰あろう、このあたくしでありました。

『ダイナマイトどんどん』は、岡本喜八監督、菅原文太主演の「やくざ映画」で、終戦直後の昭和25年、北九州を根城にする暴力団同士が、縄張り争いの決着を「野球」でつけるというコメディ映画でもありました(原作は火野葦平)。

 この作品で、泥臭い絵柄とノーテンキな内容のマンガに目覚め、その勢いで直後に描いたのが『ゲームセンターあらし』でありました。

『ダイマナイトどんどん』本文 画像は、『ラストゲーム 最後の早慶戦』とは無関係の拙作『ダイナマイトどんどん』(単行本)の表紙とクライマックスシーンですが、このモノクロの絵の方、時代(1978年)を感じさせるふざけ方ですね。

『ダイナマイトどんどん』のマンガは、映画のシナリオを元に描いていたのですが、初稿〜第2稿〜第3稿と進むうちに、どんどん内容が変わっていき(主に予算の都合で)、土砂降りの中で撮影されるはずだったクライマックスの試合のシーンも、やはり予算の都合で雨が降らなくなりました。マンガの方は予算の制約がないので、勝手に雷雨にさせていただきましたです。

 話が脱線しましたが、『ラストゲーム 最後の早慶戦』は、とてもいい映画です。早稲田、慶應の学生、出身者なら、より感情移入して見ることができるでしょう。実際の最後の早慶戦では、最後に「海征かば」の大合唱になったそうですが、映画では、そのシーンはカットされていました。それも監督からのひとつのメッセージであったようです。

 ちなみに映画上映終了のあとは、早稲田大学応援部員の指揮で、慶應・早稲田両大学の校歌斉唱となりました。

(付記)

 そういえば、この映画の中で、早稲田大学野球部顧問の飛田穂洲(柄本明/実質上の主役)に最後の早慶戦を持ちかけたのは、慶應義塾大学の小泉信三塾長(石坂浩二)でした。

 映画の中で、小泉塾長のご子息が戦死したことが紹介されていました。ご子息の名前は小泉信吉。海軍の主計大尉でした。

 この名前を聞いたとき、小泉塾長が一人息子でもあったご子息のことを綴った回顧録、『海軍主計大尉小泉信吉』(小泉信三/文春文庫/1975年1月刊/500円)を、もう30年以上も前に読んだことを思い出しました。本を探して読み直してみよう……。

2008年5月18日 (日)インディ500バンプデー

 深夜になってインターネット経由でインディ500の最終予選「バンプデー」を観戦。あああ、ロジャー安川選手がバンプアウトされてしまった……。

2008年5月17日 (土)所沢で合コン?

 今日と明日は早稲田大学所沢キャンパスで早稲田大学人間科学部eスクールのスクーリングが開かれている。その関係で、大勢の学生が所沢のホテルに宿泊しており、懇親会へのお誘いを受ける。

 集合時刻まで時間があったので、所沢駅前のマクドナルドでノートパソコンを拡げて仕事をしたが、どうやら隣の席にいる人たちは、女性マンガ家と編集者らしい。打ち合わせの内容が気になって原稿が進まなかった。

 その後、学友たちと居酒屋2軒をハシゴして、楽しい時間を過ごしてから帰宅。30代から50代の男女が、勉強の話で何時間でも話しつづけられるというのは、けっこうすごいことなのかもしれない。

 帰宅後、深夜にインディ500の予選3日目をチェック(予選2日目は雨で中止)。ロジャー安川選手も予選を通過したけれど、遅い方から3人目なので、明日の最終予選「バンプデー」で弾き出される危険がある。

2008年5月16日 (金)▼「R25」にインタビュー

 フリーペーパーで知られる「R25」のオンライン版に、『サラリーマントレーダーあらし』の作者としてインタビューされた内容が掲載されました。

 よろしかったら、お読みになってみてください。

 詳細はこちら→ R25.jp

2008年5月15日 (木)▼深夜のサイクリング

 昼間は証明写真をとりにいったり、スポーツクラブの退会手続きに出かけたり(もう1年以上もサボっているのに、毎月会費だけが引き落とされるため)、帰宅後、マンガの仕事の準備をしたりで、かなりドタバタ。

 夕食後、また仕事部屋に閉じ籠もったが、運動不足も気になるし……というわけで、深夜になってからバックパックにノートパソコンを入れて自転車で出撃。2駅分、東に向かって走ったあと、こんどは西に向かって1駅分を走り、途中のマクドナルドで休憩。無線LANを使って調べ物をしつつ仕事の企画書を書いた。

 あとでアルプスの地図サイトで走った経路をトレスしたら、14.3kmほど走っていた。

2008年5月14日 (水)▼Excelと睨めっこ

 昨日、早稲田大学所沢キャンパスで、統計のプロでもある院生に教えてもらった「はずれ値除去の基準」を参考に、早稲田大学人間科学部eスクールの卒業研究用に実施した実験データを見直す。

 ゼミの先生からのアドバイスもあり、Excelと睨めっこして表とグラフを作成。明確な有意差は出ないけれど、有意な傾向は見受けられる感じかなあ。典型的な量的研究で卒論を書きたいと思っているので、とにかく大事なのは実験のデータになる。コツコツ進めていくしかない。

2008年5月13日 (火)▼打ち合わせ後、所沢キャンパスへ

 本日は昼過ぎに起床し、午後2時から最寄駅ちかくの喫茶店で、マンガの仕事の打ち合わせ。隣の席でもマンガ家が編集者に原稿を渡していたけれど、誰なんだろう? 会話からすると永井豪さんのダイナミック・プロ出身者のような感じでもあるのだが。

 打ち合わせの方は、仮想世界を題材にしたマンガの内容についてだったが、こちらも「セカンドライフ」を体験していたので、話は早かった。

 打ち合わせ終了後は、池袋線の電車に乗って小手指に行き、ここからバスで早稲田大学所沢キャンパスへ。

 起きてから食事をしていなかったので、とりあえず学食に行ったら、同じゼミの通学生に遭遇。曜日の感覚がなくて今日は月曜日のつもりでいたのだけれど、ゼミの授業のある火曜日だったことが判明。学食で通学生と一緒に食事をして、来月の合宿のことなどあれこれ話す。

 そのあと生協で本を購入し(授業に関係のない江戸城の本とか篤姫の本とか……)、さらに図書館へ。蔵書検索用のパソコンが置かれているコーナーに行ったら、こんどは先週の金曜日に高田馬場でデートした同じゼミの院生のMさんが、修論用の資料を検索しておりました。

 7冊ほど本を借り、通学生のゼミがおこなわれている教室を覗いて先生や学生に挨拶。通学生のゼミ生に誕生日の学生がいて、お祝いの寄せ書きを書いたりしたあと、Mさんと一緒に学食に向かい、今年、eスクールを卒業して院に進んだIさんと会い、卒論のこと、院の様子などを質問。

 Iさんは統計のプロでもあるので、はずれ値の除去の基準についてなど、参考になる話を聞くことができた。

 研究室に用事があるIさんと別れ、バスと電車と自転車で帰宅。帰りの電車が快速だったせいで、キャンパスを出てから40分で家に到着。

 早稲田キャンパスの中央図書館には35分で行けるし、東伏見キャンパスには自転車で5分。早稲田で学ぶには、やっぱり理想の立地条件だということを実感。

2008年5月12日 (月)▼眼力――視線のチカラ/『漫画をめくる冒険』の違和感

 昨日購入した『漫画をめくる冒険』は、実に刺激的で面白かったのではありますが、読んでいて、どうも違和感を覚えてしかたがなかった。なぜだろうと考え、ようやくわかったのは、マンガの視点の解説に使われている『School Rumble』(小林尽)というマンガのキャラクターに対する違和感だった。

 この作品に限らないんですが、このマンガに出てくる少女のように、視線が伏し目がちで、しかも焦点が定まっておらず、一見、意志薄弱に見えるキャラクターが増えているんですよね。少し前までのオタクのイメージに一脈通じるものがありそうですが、やっぱり、こんな、ある意味「無機質」なイメージを持つキャラクターが、人気があるのでしょうか?

 最近、マンガ評論でもマンガの入門書でも、「視線誘導」という
概念が盛んに紹介されていますが、描き文字のパースやネームの文字の並びで次のコマに視線を誘導することよりも、一番の基本は、やっぱりキャラクターの「目」が何を見ているかではないかと思います。マンガ家志望者の作品を見ると、けっこう、キャラクターが、話しかけている相手や、見るべき対象から視線をそらしているものが多く、それが読者の意識をはぐらかしたりそらしたりする一因ともなっています。つまり、読者が集中できないんです。

 目のチカラ……個人的に「眼力」と呼んでいますが、マンガ全般から、このチカラが弱くなっているように思います。「少年ジャンプ」とか「コロコロコミック」あたりのキャラクターは、もっと「眼力」があってもいいように思うのですけどね……。

2008年5月11日 (日)文学フリマで『漫画をめくる冒険』を購入

 今日は、秋葉原で開催されていた「文学フリマ」というコミケの文学版みたいなイベントに出かけ、あちこちで話題になっている『漫画をめくる冒険』(泉信行)というマンガの研究書を購入してきました。

 おもに「視点」について解説されています。そのとおり、と思う反面、実作者としては、「こんなこと、いつも考えながら描いているよなあ……」というのが、一読しての感想。実際、多くの実作者が同じように感じているはずですが、でも、この『漫画をめくる冒険』のように、うまく整理して説明できる人がいなかった、ということなのでしょう。

「視点」については、マンガだけでなく、小説の方でも重要なポイントで、ぼくの場合、それが『マンガでわかる小説』を執筆する動機ともなりました。「視点」の解説にマンガというビジュアルなメディアが向いていると考えたからです。

 そういえば、この本でも紹介されていたスコット・マクラウンドの『マンガ学』(岡田斗司夫訳)に出てくる『「見る」ための絵と「なる」ための絵」というネーム。『マンガ学』を読んだときにはピンと来ていなかったのですが、 つい先日、われらが宮崎清孝先生(早稲田大学人間科学部教授。「認知心理学」「教授学習過程論」を専門科目でとり、「認知心理学実験調査研究法」も受講しました)が書かれた『視点』という本に、「“見る”視点と“なる”視点」という章がありました。

 この本、旧版は1985年初版でしたが、今年の1月に新版が出ていたので、こちらも生協で買ったばかりで、そこで「“見る”視点と“なる”視点」に気づきました。ちなみに、この章は旧版のときから変わっていません。

 また『漫画をめくる冒険』にも「一人称視点映画」の『湖中の女』が、ロバート・モントゴメリー(監督)の映画とだけ紹介されているのですが、なんで原作のことには触れないんでしょう? 原作がレイモンド・チャンドラーで、主人公がフィリップ・マーロウとくれば、この映画が小説の『文体模写』だってこともわかるように思うのですが。

 ついでなので『湖中の女』の原作も買ってきましたが、村上春樹・訳の『ロング・グッドバイ』(旧邦題『長いお別れ』)に、ちゃっかり便乗しておりました。

 さらについでなので、帰宅後、アメリカのAmazonから購入した映画『湖中の女』のDVD(リンク先は米国Amazon)も見直してみました(中古VHSもあり)。主人公(マーロウ)が見た情景だけで進む映画ですが、視点の位置の高さや、マーロウを見る人々の視線の不統一などで、まるでマーロウの気分になれません。おまけに、やたらあちこち見まわすので(カメラがパンするので)、なんだか船酔いしたような気分になります。このDVD、宮崎先生にも紹介したら、早速、購入されたとのことでした。

『漫画をめくる冒険』を買ったあとは、向かいの席で本を売っていた『マンガでわかる小説入門』の担当編集者に挨拶し、ちかくのブックオフで拙著を含む数冊の本を購入(新刊では入手難のものが中心)。つづいて総武線と地下鉄東西線を乗り継いで早稲田大学中央図書館へ。日曜日なので開館は午後5時まで、貸し出しは午後4時半まで。4時15分くらいには着けたので、あわてて借りる本を探し、貸し出し手続きをとると、大隈講堂の脇からバスで帰ってきました。

 大隈講堂前には、本庄からの100kmハイキングに参加している学生の荷物が並べられておりました。午後8時くらいに到着なんだとか。おつかれさまです。

 帰宅してからは読書に『篤姫』にF1トルコGP。深夜零時からはeスクールの授業を受講。専門科目は3科目だけなので、さっさと課題も片づけてしまいました。

2008年5月10日 (土)何をしていたんだろう?

 この日は、メモも残っていなくて、何をしていたのか思い出せない。何をしていたんだろう? もっとコマメに日記を書かないとダメだな……。

 あ、F1トルコGPの予選を観たな。スーパーアグリのいないF1は、見ていても、やっぱり、いまひとつ力が入らない。

 あ、また思い出した。未明になってからはインディ500の予選の模様を見ていたのだけれど、途中で眠気に負けてダウンしてしまったのであった。

 はい、今年もインディ500でテレビ解説をやります。今回は、レギュラーの松田秀士選手がドイツのレースに出場するため、昨年までインディカーシリーズで走っていた松浦孝亮選手が解説を担当する予定。当日はツインリンクもてぎでフォーミュラ・ニッポンのレースに出たあと、大阪のスタジオまで駆けつける予定らしい。ご苦労さまです。

2008年5月9日 (金)▼明治大学で講義

 今日は午後から外出。まず高田馬場でeスクール1期生の女性と会い、今後の進路のことで相談。あれこれ教えていただく。

 その後、御茶の水に移動し、明治大学のリバティタワーで、友人の明大教員から頼まれていたゼミの講師をつとめる。テーマは「使えるアイデアのつくりかた」。どのようにしてマンガ、小説、実用書の企画やアイデアを探し、つくってきたかを具体的に説明。また、早稲田大学人間科学部eスクールのレポートを書く際、そのネタの捜し方、ネタからアイデアに発展させる方法なども解説。

 午後6時から1コマ(1時間半)の予定だったが、質疑応答が止まらなくなり、終了したのは午後9時ちかく。ほぼ2コマ分の時間を費やしてしまった。

 授業のあとは、時間にゆとりのあった女子学生ばかり数名と教員と一緒に、御茶の水の居酒屋で打ち上げ。女子学生は、見かけは子どもっぽいんだけれど、でも、しっかりしている。さすが明治って感じでしょうか。楽しい授業だった。

2008年5月8日 (木)▼映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」のチケットが当たる

 早稲田大学の大隈講堂で先行上映される映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」のチケットが当選。2人用のチケットなので誰か平日の午後に早稲田大学に行ける人を捜さないと。ただし学生証を持っていないとダメ。誰か、一緒に行ってくれるかなあ……とmixiで募集したら、学友が応募してきてくれました。

「最後の早慶戦」は、太平洋戦争中、学徒出陣を前にして、早稲田と慶應の野球部員が、早稲田にあった阿部球場で最後の早慶戦をプレイしたという実話にもとづいた映画。写真は、大隈講堂の脇から学食の大隈ガーデンに抜ける途中にある「平和祈念碑」。昨年の早稲田大学創立125周年記念のときに撮影したものだが、出征学徒の会の皆さんが供えた花がありました。

2008年5月7日 (水)▼まだ人生の先は長い

 将来のことに関連して、ちょっと大事なメールを出してあったんだけれど、無事に受理されたとのこと。さあ、頑張るぞ!

2008年5月6日 (火)▼スーパーアグリ、F1から撤退

 あ〜あ、なんだかなあ……。

 佐藤琢磨選手、F1から引退したら、ぜひ、早稲田大学人間科学部に戻ってきておくれ。

2008年5月5日 (月)▼落語&読書

 風邪が抜けかけてきたので、中野芸能小劇場で3日連続で開催中の「春の文左衛門大会」最終日へ。橘家文左衛門師匠の落語会で、3日間の内容は以下のとおり。

 □5月3日(土)/〜文左衛門 長講ニ席〜
  ・演目:『試し酒』『子別れ』
  ・ゲスト:古今亭志ん五
  ・前座:柳家小ぞう

 □5月4日(日)/〜文左衛門vs喬太郎〜
  ・演目:『短命』『寝床』
  ・ゲスト:柳家喬太郎
  〔喬太郎・文左衛門の二人落語あり!〕
  ・前座:柳家小ぞう

 □5月5日[月]/〜文左衛門ひとり寄席〜
  ・橘家かな文『寿限無』
  ・橘家文吾 『粗忽の釘』
  ・橘家文左衛門『青菜』
    お仲入り
  ・アサダニ世  奇術
  ・橘家文左衛門『お楽しみ』

 最終日の本日は、プログラムの「文左衛門ひとり寄席」の意味がよくわかっていませんでした。「橘家かな文」ってのが文左衛門師匠の前座時代の名前で、「橘家文吾」も二ツ目時代の名前だったことも知っていたんですが、てっきり後輩が、その名前を継いでいるのかと思っていたんですよね。高座がはじまる前、ドアの前であった文左衛門師匠が、「前座時代の着物がさあ……」と話しているのを聞いていても、まだピンと来ていませんでした。

 で、いざ高座の幕が上がると、「橘家かな文」のめくりの横で高座に座ったのは、あれま、文左衛門師匠じゃありませんか。ここでやっと、前座の名前で前座噺の「寿限無」をやり、二ツ目の名前で「粗忽の釘」を……ってのがわかったわけです。気づくのが遅かった。

「青菜」も楽しませていただき、アサダ二世のいつもの奇術に笑い、最後の「お楽しみ」は「芝浜」でした。

 先週、シャワーを浴びたあとにアイスホッケーに出かけたせいで、その夜から風邪をひき、まだ風邪が抜けていないかったため、風邪薬を飲んでいたのですが、「芝浜」の途中で眠くなったのなんのって。頭がカクンとして目が覚めるような状態でしたが、でも、噺は、すべて聴いておりました。

 喉も腫れ上がっていて、喉スプレーしているような状態だったので、落語が終わると打ち上げ参加は断念して、そそくさと会場を抜け出し、ブロードウェイの書店で買い物。そのままバスと電車で帰宅してしまいました。

『マンガ編集者狂笑録 (水声文庫)』 ブロードウェイの書店「タコシェ」で購入したのは、“マンガ編集者小説集”ともいえる『マンガ編集者狂笑録』(長谷邦夫/水声社/2008年4月刊/2,940円)。マンガの歴史に残る実在の名編集者を主人公にした短編「小説集」で、実に面白い。バスと電車の中で夢中になって読んでいると、あれれ、元「漫画サンデー」編集長の峯島さんの最後には、なぜか突然、菅谷充なんて名前が出てきてビックリ。前に、峯島さんにお世話になっていたことを話したことがあるのですが、そのことを憶えていらしたようであります。あー、びっくりしたな、もう。

2008年5月4日 (日)今日も読書

 着々と本を読む。新作の企画づくりのため、どんな本であるかはナイショ。

2008年5月3日 (土)ゴールデンウィークらしい

 世間はゴールデンウィークらしいが、こちらは関係なし。ひたすら本を読む。

2008年5月2日 (金)▼ゴホン、ゴホン

 まだ体調が悪い。家に籠もって、ひたすら読書。

2008年5月1日 (木)▼新作の準備

 次の仕事の準備で、資料を読みあさっています。でも、風邪で不調。


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