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『仮面ライダー青春譜』第3章 マンガ家めざして東京へ(7)

●上京

 一九六八年の年末を東京でアシスタントの仕事をして過ごしたぼくは、年が明けた一九六九年の新年早々から、アマチュア無線の講習会に通い出した。高校生活最後の冬休みを有効に使うためである。
 高校では、合間を見つけては物理部の部室に出入りし、グループサウンズ・ブームに影響された同級生たちのバンドのために、真空管でアンプを作ってあげていた。
 部室に置いてあるアマチュア無線機を使い、学校のクラブ局に認められた以外の周波数で交信したために、郵政省の東海電波管理局から学校にお叱りのハガキが舞い込んだこともあった。
 ぼくの心の片隅には、まだ、エレクトロニクスで身を立てたいという気分が残っていた。
 とっくに就職先は決めてあったのに、旺文社や学研の模擬試験も、理科系の大学を志望校にして受けつづけていたのも、ラジオの世界に対する未練からである。アマチュア無線も、やはり、やりのこした未練のひとつだったのだ。
 中学一年生のときに一度だけ、アマチュア無線の国家試験に挑戦したことがあったが、その頃の試験は、すべて筆記だった。無線工学や電波法規の問題が、答えはわかっているのに、漢字が書けなくて敗退してしまっていた。「平衡」「逓倍」といった漢字が書けなくて、それを思いだそうとしているうちに時間が過ぎてしまったのだ(手書きでは、いまでも辞書を引かないと書けないのだが、日本語ワープロのおかげで、こうして書けるようになった。コンピューター様さまである)。
 この頃は、ハムの国家試験は春と秋の年二回だけ。それ以外には、夏休みや冬休みに開催される講習会に通って講義を受け、終了試験にパスするしか免許取得の方法はなかった。
 同級生たちの中で、推薦入学などで大学が決ってしまった者は、自動車の運転免許を取りに通っていた。しかし、ぼくは、いましかハムの資格を取るチャンスはなくなってしまうだろうと、電車に乗って、静岡市の高校で開かれた講習会に通い、なんとか終了試験にもパスして、アマチュア無線の従事者免許を手にすることができた。
 一日だけ講習会を休んだが、それは『墨汁三滴』の会合に出席するため、東京に出かけたからである。
 その会合は、マンガ同人誌ブームを取り上げる『アサヒグラフ』の取材を受けるためのものだった。
 三鷹駅での待ち合わせシーン、仲間の家での編集会議の様子などが、プロのカメラマンの手で撮影されていった。

 東京から戻ると、すぐに三学期がはじまった。
 各地の大学受験に出かける者が多くなり、教室には空席が目だつようになっていた。授業も自習になることが多かったのではないか。
「すがや、お前、マンガ描いているのか?」
 自習になった英文法の時間に、英語の教師が突然ぼくに訊ねてきた。
「え?」
 その教師は、ぼくがマンガを描いていることなど知らないはずだった。
「図書室に届いた『アサヒグラフ』に出てたぞ」
 教師がニヤリと笑って教えてくれた。
 ぼくは、授業が終わると、あわてて図書室に走った。雑誌を並べた棚に、その『アサヒグラフ』が置かれ、ページをめくると、ぼくたち『墨汁三滴』の仲間が飛び出してきた。
 担任や、上京のたびに学割の証明書をもらいにいった教頭など、一部の教師しか、ぼくがマンガを描いていることは知らないはずだったのに、「アサヒグラフ」のおかげで、すっかり有名になってしまったのだ。
 高校三年の三学期は、受験のため一月で授業は終わりになる。その一月の中旬過ぎ、全共闘の学生が占拠していた東大の安田講堂に機動隊が突入した。ぼくは学校をさぼって、その光景をテレビでながめていたが、大学闘争なんてものは、ブラウン管の枠の中に切り取られた、遠い世界の光景でしかなくなっていた。
 同級生の中には何人か、東大を受験する者がいる。彼らは、あの荒れた大学にいくのだろうか……?
 そんなことがチラリと頭の中をかすめたりもしたが、その東大の入学試験も、翌々日には中止が発表された。

 二月五日の早朝--ぼくは、布団と電気ゴタツと着替えを荷台に詰め込んだ叔父のライトバンに乗って東京に向かった。従兄弟がひとり、引っ越しの手伝いについてきてくれた。
 雪で箱根を通る国道1号線が不通になり、国道246号線を迂回したために、目的の練馬区大泉学園にある四畳半一間のアパートに着いたのは、午後六時過ぎになっていた。六時間の予定が、十二時間もかかったことになる。東名高速道路は、まだ一部が開通していただけだった。
 先生の家に挨拶し、叔父たちが帰ると、しんしんと冷えるアパートの部屋の中で、電気ゴタツにスイッチを入れると、ぼくは、さっそくペンと墨汁を引っ張り出した。
 一人暮らしの第一夜だったが、不思議と寂しさや恐ろしさはなかった。明日から本格的に始まるプロのマンガ家のもとでのアシスタント生活を考えると、身体が熱くなって眠れなくなっていた。


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コメント

ハムの話が新鮮ですね。私は昭和57年の10月に名古屋で受けた覚えがあります。とうに四択マーク式試験になっていて、「初歩のラジオ」別冊の完丸(完全丸暗記)問題集いっさつでなんとかなってしまいました。

当時は友人たち相手にそれなりに鼻高々でしたが、いまではもうまるっきりの電気音痴ものであります。



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