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『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(12)

●マンガ家になりたい!

『マンガ家入門』を読んで、再びマンガに取り組むことになったのだが、以前ほどにはスラスラと描けなくなっていた。本文で解説されていたテクニックの数々に翻弄され、消化しきれずにいたからだ。
 中学最後の夏休みは、あっというまに終わり、誰もが高校受験のことで頭がいっぱいになる二学期になった。
 教室では志望校やすべり止めに受ける私立高校の話題が飛び交っていたが、ぼくは、ひとりマンガのアイデアを練り、コマ割りを進めていた。
 ――二学期中にマンガを描き上げ、石森章太郎「先生」のところに送るのだ。「弟子かアシスタントにしてください」という手紙を添えて……。
 どうせ、高校にいけないのなら、好きなことを職業にしたかった。マンガを描いて石森章太郎先生のところに送れば、きっと道はひらけるはずだ。ぼくは大まじめに、そう考えていた。
 石森先生のところに中途半端な作品を送ったら失礼になる。きちんとストーリーを完結させたものを送るのだ。そのためには、最後までコンテを作ってから作画にとりかかる必要があった。

 そんなことよりも、石森先生の弟子になることが最優先の課題だった。高校受験も、すべり止めでしかなくなっていた。
 同級生たちが受験勉強にはげんでいる間も、必死にマンガを描きつづけたほくは、冬休みに入ってラストスパートをかけ、年明け早々に、ようやく原稿を完成させた。三二ページのSFマンガだった。
 ぼくは完成した原稿と弟子入り志願の手紙、そして、母に書いてもらった弟子入りの同意書を大判の封筒に入れ、祈るような気持ちで近所の郵便局から発送した。
 宛先の住所は、東京都新宿区弁天町四十三。宛名は、もちろん石森章太郎先生だ。
 毎日、毎日、首を長くして返事を待った。しかし、二週間たっても三週間たっても返事はない。
「やっぱりだめだったんだよ」
 一ヶ月ほどが過ぎたとき、母が無情にいった。現実を思い知らせようとしたのにちがいない。
「しかたないから、高校にいくんだね。いまどき、マンガ家だって、高校くらい出てないと、誰も相手にしてくれないよ」
 こうして、いやいやながらも高校を受験することになったのだが、担任教師に頼み込んで、近隣の高校のなかで一番近い〈普通高校〉のF高校に志望校を変えてもらうことにした。願書提出締切日の前日のことだった。実は、この時点では、普通高校の〈普通〉が、何を意味するものか知らずにいたのだった。
 高校の入試は、何の準備もしていなかったのに、スンナリと合格した。合格したのはいいが、マンガ家への道のりが長くなるような気もして、複雑な気分だった。
 そして、ぼくの高校合格は、わが家にとっての一大事にもなっていた。上に五人いる腹ちがいの兄と姉のうち、男三人は父親に反抗して、中学も卒業しないうちに家を飛び出していた。父親の暴力に耐えかねてのことだった。
 二十歳以上も年の離れた長兄は、ぼくの学校貯金までおろして博打につぎ込み、母の着物や家財道具もすべて質屋に叩き込んでいた。
 それなのにこの長兄は、ぼくの高校の合格発表の日になると、早朝からF高校に出かけ、「この野郎、門を開けろ! 開けねえと、ぶっからすぞ(静岡弁で、ぶんなぐるぞの意味)」
 と用務員を大声で脅し、まだ閉じていた門を開けさせたのだという(本人談)。合格発表の掲示板にぼくの名前があるのを確認した長兄は、自転車でわが家まで走ってきて、母に高校合格を報告すると、そのままどこかに走り去っていった。
 走っていったのは、近所の商店街だった。長兄は、酒屋のシャッターを叩いて店を開けさせ、「俺の弟がF高校に合格した祝いだから」と、店の前を通る通勤途上の人たちに、ふるまい酒をしたのだという。わが家にとっては、身内から高校に入る者が出ることだけでも、一世一代の大イベントだったのだ。
 そして、ぼくは高校生になった。昭和四十一(一九六六)年四月のことである。


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コメント

 おお、兄弟もいらっしゃったのですね。ご両親との関係はこれまでも書いてましたが、兄弟関連ははじめてかな? ずっと一人っ子だと思っていました(^_^;)。

 兄弟関連の話を聞くのは大好きなので、機会がありましたら、またぜひ。

 以上、楽しく読ませてもらってますよ~&プチ感想でした。



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