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『仮面ライダー青春譜』第3章 マンガ家めざして東京へ(1)

●高校には入ってみたものの……

「ところで志望校はどこだ?」
 高校に入った直後、担任教師の個人面接があり、いきなりそんな質問を浴びせられた。
「はあ……?」
 ぼくは、ポカンと口を開けた。「志望校」の意味がわからなかったのだ。
「志望校には、入ったばかりですけど……」
 真面目な顔でそう答えると、とたんに担任教師の顔が朱に染まった。耳までもだ。
「お前は、どういうつもりで、この高校にきたんだ? 志望校といったら大学に決まっているじゃないかっ!」
 いまにも湯気を立てんばかりに教師は、真っ赤な顔をさらに赤くして怒鳴りだした。
「大学……?」
 ぼくは、キョトンした声を出して担任教師の顔を見つめた。事態をつかめずにいたのだ。
「まだ高校に入ったばかりですし、大学に行くかどうかは、まだ決めてませんが……」
「だったら、お前は何のために、この高校に来たんだ?」
「家から一番近い高校だったからです。本当は工業高校に行きたかったんですが、電車通学だと大変だと思って……」
 ぼくは正直に答えた。
「な、な、な、なんて奴だ! お前のような奴のために、大学に行きたいと思ってた生徒がひとり落ちてしまっているんだぞ! そんな生徒に申しわけないと思わないのか?」
 申しわけないも何も、ぼくの辞書には最初から大学という言葉がなかったのだからしかたがない。ぼくは、担任教師がなぜこんなに怒るのか、まるで理解できず、ただ途方に暮れるばかりだった。
 しかし、この日の面談で、理解できたことがひとつあった。それは〈普通高校〉が大学進学を目的とした高校であるという事実だった。
「お母ちゃんは、普通高校が何をする高校か知ってた?」
 帰宅したぼくは、母に訊いた。
「普通の高校だろ?」
 母は、あっさりと答えた。母も何もわかっていなかったのだ。
「大学に進学するための高校だってさ」
「それじゃ、お前には関係ないじゃないか」
 この子にして、この母ありだった。
 こんな調子だったため、個人面接のとき以来、ぼくは担任教師ににらまれつづけることになった。さらに悪いことに、母が担任教師の怒りの炎に油を注ぐことになった。
 父兄の個別面談に呼ばれた母は、
「毎日、どれくらい家で勉強していますか?」
 という担任教師の質問に、こう答えたのだ。
「うちの子は、小学校のときから家では宿題もしたことがないのが自慢なんです。家に帰ってきたら、マンガを描くばかりで、勉強してる姿なんて見たこともありません。中学までは面倒をみるけれど、高校から先は、自分の道は自分で決めるという約束になってましたから、これからのことは本人にまかせています」
 その母に、ぼくは、こんな宣言をしていた。
「F高校の生徒はみんな、高校では勉強するけれど、大学に入ってから思いきり遊ぶといってる。ぼくは、大学に行く気はないから、高校で遊ぶことにするからね。どうせ高卒という学歴のためだけに行くんだし……」
 母は、この宣言の内容まで、担任教師に告げてしまったのだ。
 母の言葉に担任教師はポカンと口を開けていたらしい。ぼくたち親子は、担任教師の常識の埒外にいただろう。
 しかもまずいことに、担任は英語の教師だった。ぼくは英語が苦手――というよりも大嫌いだったのだ。
 高校に入って最初の中間試験の英語のテストでは、リーダー、グラマーともに百点満点で十七点ずつ。担任教師が担当するリーダーの答案用紙には、点数の横に、
「マンガばかり描いているから、こんな点を取るんだ!」
 という文字が、真っ赤なインクで書き込まれていた。

「菅谷くん、マンガ描いてるんだって?」
 クラスメイトのひとりが、いきなり声をかけてきたのは、地理の授業が終わったあとのことだった。
 中間試験の地理のテストに、「岩手県の曲がり家を図示せよ」という問題が出たのだが、ぼくは、曲がり家の窓から顔を出した馬が、ヒヒヒーンといななくマンガチックな絵を描いていた。現代の曲がり家らしく、屋根にはテレビアンテナもつけたりもして、マンガそのものの絵を描いたのだ。
 地理の教師は、「こんな絵を描いた生徒がいる」と、クラス全員の前で、ぼくの答案をかざして見せた。「絵としては正しいが、ふざけすぎているからマイナス五点にした。これがなければ百点だったんだが」と、のたまわったのである。おかげで、地理のテストは九十五点になっていた。
 地理の教師は、「これが百点の解答だ」と、もう一枚の答案用紙を見せた。その解答用紙に描かれていた曲がり家の絵は、まるで美術の教科書のお手本のように、きちんとした三点透視法で描かれていた。
 ぼくに声をかけてきたのは、その答案の主で、名前を小西といった。
「ぼくもマンガ描いてるんだ」
 突然の告白にぼくは、びっくりした。
 富士山麓一帯の秀才と呼ばれていた生徒が集まる高校に、マンガを描いている生徒がいるとは考えてもいなかったのだ。
 しかも、この小西という同級生が、十年ほど後に、ぼくを自動車レースマンガを描くきっかけを与えることになろうと、もちろん夢にも思っていなかった。
「へぇ、ほかにもマンガを描いてる生徒がいるなんて……」
 ぼくは、その小西というクラスメイトの出現に驚いた。しかも、クラブも同じ物理部に入っていたが、彼とは部室で出くわしたことがない。物理部や化学部には、とりあえず在籍だけする幽霊部員が多かった。小西も、その幽霊部員のひとりだったのだ。
 小西も大学受験を目指してこの高校にやってきていた。マンガは単なる趣味だったはずだ。それがその高校においては当り前なのであって、高校生活をマンガ家への助走期間としようと考えるぼくの方が異端だったのだ。
 ぼくは、高校に入ると早々に、
〈1〉家で学校の勉強は一切しない。
〈2〉マンガ家になるために東京に出ていくための資金は自分で稼ぐ。
 という約束を母親と交わしていた。
 中学生までは親が面倒を見るが、高校になったら自分で進路を決めろ、と日頃からいっていた母は、こんなことを息子に宣言されても、ダメだとはいえなかった。子供に理解があるのだというポーズをつくってはいたが、日々の生活に追われるばかりで、それは、息子に充分なことをしてやれないという負い目の裏返しでもあったのだ。
 とはいえ息子のぼくは、親が面倒をみてくれるのは中学生まで――という言葉が、いつしか脳裡に刷り込まれていたらしく、高校生になったら自立するのは当然のことと考えていた。
 高校では、クラブ活動の籍を物理部におきながら、水泳部にも入部した。身体を鍛えるのが目的だった。もちろんマンガ家になるための修行(?)の一環である。売れっ子マンガ家の過酷な生活ぶりは、マンガ雑誌や「マンガ家入門」にたっぷりと書かれていた。
 富士山南麓の温暖な気候のおかげで、F高校の水泳部は、五月にはプールの水を入れ替え、練習をはじめていた。
 最初に一五〇〇メートルを泳ぎ、次に八〇〇メートルを二本、四〇〇メートルを四本、二〇〇メートルを八本……と、最後の五〇メートルのダッシュまで含めると、一日に八〇〇〇メートルから一万メートルは泳ぐ。こんなトレーニングは、生まれてはじめてだった。おかげで、胸の筋肉がもりもりとついてきた。
 水泳の練習が終わるのは夕方六時過ぎ。あわてて家に帰って夕食をすませると、すぐにマンガを描く時間になる。
 マンガを描かない夜は、たいてい映画に出かけていた。母の勤務先からもらった映画館の招待券があったからだ。
 こうして水泳とマンガで明け暮れた一学期が終わろうとする頃、いきなり担任の教師から呼び出しを受けた。英語の点数が悪いからと、特別補習を命じられてしまったのだ。
 中間、期末の成績の悪かった五十人ほどの生徒が、一学期の終わりから夏休みの前半まで、朝七時半から開始される特別補習を受けさせられハメになったのだ。早起きが苦手なぼくは、以後、赤点にならない程度の点数はキープするよう心がけることにした。
 夏休みには、上京資金をつくるアルバイトもスタートした。もちろんマンガ家になるための上京である。ぼくの通っていた高校では、受験勉強のさまたげになるからと、アルバイトが禁止されていたが、そんなことは気にしていなかった。もちろん、大学受験の予定がなかったからだ。
 高校在学中、暇さえあればアルバイトに精を出した。肉体労働系のアルバイトが多かったのは、からだにキツい分、稼ぎがいいからだ。土建関係のアルバイトをした帰り、学校のプールに寄って汗を流すのが夏休みの日課になっていた。


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