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『新宝島』の「映画的手法」についての一考察

『テヅカ・イズ・デッド』(伊藤剛/NTT出版/2005年9月刊/2,520円) 話題の『テヅカ・イズ・デッド』(伊藤剛/NTT出版/2005年9月刊/2,520円)を読んだ。

 読み始めたら仕事にならないだろうな……と予測していたが、まさにその通り。実に刺激と示唆に満ちた本で、途中で読むのをやめられなくなった。このような本に熱中するのは、マンガを描かなくなってから、なぜかマンガ表現というものに対するこだわりが強くなり、夏目房之介氏の著作などを読みふけるようになっていたせいでもある。

 本書に登場する「キャラ論」や「同一化技法」については、ちょっと口を挟んでみたいこともあるのだが、その前に、やはり本書でもとりあげられている『新宝島』の「映画的手法」について、個人的な考えを述べてみたい。

 ぼくは、『新宝島』が「映画的だった」ことについて、長年、疑問を抱いてきた。

『テヅカ・イズ・デッド』でも紹介されている藤子不二雄A氏をはじめ、いわゆるトキワ荘グループの世代のマンガ家は、『新宝島』を読んで「映画を観ているみたい!」と感じ、腰を抜かしそうになったらしい。つまり、それ以前のマンガ体験といえば『のらくろ』あたりが中心で、登場人物(動物)たちはノンビリと横に歩くだけの舞台劇のようなものだった。

 それにくらべ『新宝島』は、構図にも奥行きがあり、なおかつ登場人物や乗り物がスピード感たっぷりに動き回っていた。縦横斜め縦横無尽のめまぐるしい構図の変化とスピード表現が、まさに「映画的」で、かつ「革命」だったのだ。そして、そのことは伝説になり定説になっていった。これら従来の定説のうえに、マンガ評論の世界では、竹内オサムの唱える「同一化技法」も、モンタージュ技法の応用のような映画的技法のひとつとして加えられることになったらしい。

 ところが最近、大城のぼるが戦前に描いたマンガが復刻されたりすることで、戦前にも「映画的手法を使ったマンガはあった」ということになってきたらしい。つまり「パースを使った奥行きのある構図」「登場人物の視線→登場人物が見ているモノのアップ=同一化技法の萌芽」は戦前からあったもので、なにも手塚治虫の発明ではない、と宮本大人氏が主張しているのだというが、そのような歴史的観点は専門家の方にまかせておいて、別の観点から『新宝島』の「映画的表現」について、以前から考えていたことがある。

 藤子A氏はじめ、石ノ森章太郎師、永島慎二氏といったトキワ荘世代のマンガ家が、子どもの頃に『新宝島』に遭遇し、「映画みたい」と感じたのは、どのような理由からだったのだろう?

『テヅカ・イズ・デッド』のP161~162にかけて紹介されている藤子A氏の文章で触れられているのは、徹頭徹尾「スピード感」についてである。

 つづくP163に、この文章で触れられている『新宝島』の冒頭4ページが掲載されているが、この4ページを見る限りでは「コマ割り」には特段の革新性はない。1ページ目こそ、1/3のタイトルの下に2/3ページ大の大ゴマがあるが、あとは全て1ページを横3段に割っただけの単調なコマ割りである。コマ割りによってスピード感が出ているわけではなく、スピードが感じられるのは、コマごとに目まぐるしく変化する「構図」によるものだ。

 スピード感を補助するために、若干の煙や流線が描かれているが、それは補助にすぎず、実際のスピード感をもたらしているのは、藤子A氏が「左頁は三段三コマにきってあって、一番上のコマでは、波止場と書かれた標識の前を車が手前から奥へ走っていく。二コマ目は右に海の見える道をこっちへ向かってバーンと車がクローズ・アップ。三コマ目ではロングショット(以下略)」といった激しい構図の変化によるものだ(と断言していいだろう)。

 ただ「奥行きのある立体的な構図」というのであれば、本書P165で紹介されている大城のぼるの『汽車旅行』でも奥行きはある。藤子A氏たちトキワ荘世代の方々が『新宝島』を読んで驚いたのは、「めまぐるしい構図の変化によるスピード感」であって、これを「まるで映画を観ているみたい!」と表現したのではなかろうか。
 そこで、藤子A氏の世代の人たちにとっての、当時の映画とは、どんなものだったのかを考えてみたい。

 スピード感のある映画というと、おそらく洋画が主体だったことだろう。たとえばジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939)は、翌1940年には日本で公開されている。終戦直後にも多数の洋画が日本には入っていたはずで(大正9年生まれのぼくの母は、終戦直後、ジョニー・ワイズミュラー主演の『ターザン』などをたくさん観ていたという)、西部の荒野を馬や駅馬車が疾走するようなスピード感あふれる映画も観ていたにちがいない。終戦後の地方都市や農村においては、映画は最高の娯楽でもあったからだ。

 当時子どもだった藤子A氏たちは、このような映画体験をもとに、『新宝島』を読んで「映画的」と感じたのだろうが、その頃の映画に『新宝島』ほど激しく構図が変化する映画はあったのだろうか。
『駅馬車』をはじめとする西部劇には、馬や馬車が荒野を疾駆するシーンがつきものだが、動くのは馬や馬車であり、カメラは固定しているか、せいぜいパンするくらいである。当時、『新宝島』ほどに激しく構図が変化する映画があったかどうかということになると、ちょっと思い当たらないのだ(もちろん検証の要はある)。

 ぼくは、この「激しく構図が変化し、スピード感のある映画」について別の考えを持っていたが、本書に掲載されている竹熊健太郎氏と東浩紀氏の対談のなかで、竹熊氏が似た考え方をしていることを発見した。

 竹熊氏は、「ものすごいスピード感を表現していくということをやったんだ。ほとんどアニメーションのよう、というか映画みたいだよね」と語っている。でも、この箇所、「ほとんど映画のよう、というかアニメーションみたいだよね」と逆転させると、もっとしっくりと来るのではないか、というのがぼくの考えである。

 両氏の対談では、東氏が「これはほとんど絵コンテですね」と竹熊氏の言葉を受けている。ここで東氏が述べた「絵コンテ」も、アニメーションの絵コンテではなかったろうか。

 ぼくが感じていたのも、『新宝島』は「映画的」というよりも「アニメーション映画的」ということだった。手塚治虫氏が、戦前からディズニー・アニメの信奉者であったことは、よく知られている。生まれ育ったのは、自宅で『ミッキーマウス』のフィルムを映写できる裕福な家庭でもあったらしい。それが人気マンガ家になった後、東映動画を経て虫プロを設立するきっかけでもあったはずだ。

 戦前から終戦直後にかけて手塚が観ていたアニメといえば、「アニメーション映画」であったはずだ。ディズニーをはじめとするアメリカの長短編アニメーション映画、国産のアニメーション映画……いずれも「フルアニメ」だったはずである。

『新宝島』の冒頭4ページ、10コマの構図を見ていると、このコマに描かれた構図のつながりは、映画でいえばコマのひとつひとつが独立したカットやショットではなく、長回しによるワンカットのフルアニメのように、ぼくには見えるのだ。まさに東浩紀氏のいうとおり、「絵コンテ」なのである。ただし、実写の映画ではなく「アニメーション映画」用の絵コンテなのではあるが。

 そう、手塚氏が『新宝島』で意図していたものは、「(実写)映画の紙上への再現」ではなく「アニメーション映画の紙上への再現」だったのではないか、とボクは主張したいワケなのだ。

 手塚氏が『新宝島』を描くとき、脳内で「映画」を意識していたのなら、各コマは、カメラの切り替えをする「カット」に該当したはずである。ところが4ページ分のコマが、ワンカットの長回しによるショットであり、各コマは、途中経過を描いたものだったとしたら、それはアニメーション映画を意識していたことになる。なぜなら、ここに描かれたような構図で主人公や車、船を自在に追いながら(それもロングに引いたり、主人公にアップで迫ったりしながら)ワンカットで撮影できる映画といったら、当時はアニメーションしかなかったからである。

 映画で長回しというとアルフレッド・ヒッチコックや相米慎二といった監督の作品を思い出すが、実写の場合、被写体を追える範囲は、レールの長さやクレーンも高さに制限されることになる。もちろん空撮もあるだろうが、途中で車に乗る主人公をアップにしたり、地面すれすれまで舞い降りたりといった「構図」をワンカットで撮るのは、かなりむずかしい。深作欽二監督が手持ちカメラのブレを活かして動きのあるアクションシーンを撮影したのは1970年代の『仁義なき戦い』になってからのことだ。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスが「モーションカメラ」を多用し、ジェットコースター感覚のスピード感あふれる映画を撮影するのは1980年代に入ってからである(大友克洋氏の「構図」の変化も、このあたりからではなかったか)。

 現在は、「ER」の救急病棟シーンなどに見られるように、カメラマンが携帯できる小型カメラをモブシーンの中に持ち込んで、登場人物と一緒に動き回る「構図」もある。もちろん、いまやCGを使えば、構図や時間の制約もない。

 だが、1940年代において、たとえば『マトリックス』や『少林サッカー』のように、構図や時間の制限を取っ払った自由な構図の映像を、途切れることなくワンカットで連続して撮影(描写)するためには、アニメーション以外に手段がなかったはずである。

 さらにいえば、「カメラアイが淀みなく被写体を追跡できるアニメーション」といえば、『鉄腕アトム』に代表されるリミテッドアニメではなく、日本でいえば東映動画の劇場用アニメーションに代表されるフルアニメしかなかったことだろう。

 そう考えれば、『新宝島』での人物や自動車の「描線」にも納得がいく。初期の赤本時代の手塚の線は(描き版なので、ペンタッチがそのまま出ているわけではないが)、メタモルフォシス度――つまり登場人物や車が(柔らかな描線によって)自在に変形する割合が高いのだ(柔らかい描線によるキャラクターの変形については、石森章太郎師の初期の絵を思い出していただきたい)。つまり、この絵柄こそが、フルアニメ指向であったことを証明していないだろうか。

(すでに同じ意見が発表されていたとしたら、こちらの勉強不足なので、ごめんなさい)


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コメント

すがやさん、どうもです。
私の発言の真意も、すがやさんとほぼ同様です。
新宝島の新味は、ご指摘の通り「めまぐるしく変化する構図」にあったと思います。
私は「映画」と「アニメ」を並列して発言しましたが、確かにすがやさんのおっしゃる通り、欧米のフルアニメに影響されたと考えるほうが、つじつまがあうと思います。


>スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスが「モーションカメラ」を多用し、ジェットコースター感覚のスピード感あふれる映画を撮影するのは1980年代に入ってからである


モーションコントロールカメラのことでしょうか。あれはマイコン制御でミニチュア模型を全自動撮影する仕掛けのことで、編集技術と直接にはかかわってこないと思うのですがどうでしょう。

また、手塚がアニメーション映画の画面構図に影響されていたという説には私も説得力を覚えるのですがもう少し慎重な検討も必要だと思います。ちなみにUSA製長編の輸入は戦後だったと聞いております。


以前『風の谷のナウシカ』のDVDに収められたオーディオ・コメンタリー(庵野+片山)のなかで、宮崎氏がかつてこういう持論を述べていたと語られています。とにかく劇中人物には走らせろと。そうすればいやでもドラマは始まるのだと。

『新宝島』のドラマチックさは、冒頭から主人公が走っていたことから発生したものとも言えないでしょうか。


手塚全集に収められたリメイク版と較べるとよく分かるのですけど、いわゆる映画的手法というものについて手塚当人も理論的には把握しきれていなかった節があります。全集版でもズームアップとか時間引き延ばしとかがふんだんに使われてはいるものの、旧版にくらべてもたつくのですね。誰か比較研究をやってくれるとまたいろいろ新発見があるのでしょうが。


>たけくまさん

 コメント、申し訳ありません。そちらのブログに『ゲームセンターあらし』の対決構造に関する質問がありましたので、のちほどコメントさせていただきます。今日は、これから健康診断です。

>MMMさん

 そうです。「モーションコントロールカメラ」のことです。編集技術ということでなく、途切れのない連続したカットがジェットコースター風の動きで撮れるようになった……という意味で、このカメラのことを出しました。『インディジョーンズ 魔宮の伝説』での洞窟内のトロッコの追跡シーンみたいな動きです。

 ここまでのスピード感はないのですが、最近のテレビドラマでいうと、『3年B組金八先生』のオープニング(荒川土手を生徒や先生が歩いてくるシーン)などに、たぶんクレーンを多用しているのでしょうが、高いところから俯瞰で撮影していたカメラが、ノーカットで地上に降りていき、登場人物にズームアップしていく……といったカメラワークが多用されています。

『新宝島』の冒頭で受ける印象は、こんな、ロングからアップまでをカットで切り分けることなく、ワンショットで撮影した映画です。

 手塚先生が『新宝島』を描くにあたり、イメージしたのは長編アニメというよりも、日本でもしきりに伴映公開されていたはずの短編アニメではないかと思います。実際、ディズニーの短編アニメのフィルムもお持ちだったようですし。

 自動車が3段重ねくらいの丘(遠景、中景、近景)を走ったりして、遠近感とスピード感を出す手法は、戦前の短編アニメにも、よくあったはずです。それも動きの感じとしてはフルアニメで。

 こんな動きは、やはりフルアニメに多く、たとえば宮崎駿監督がたずさわった作品なら、『ホルスの大冒険』の氷上を滑るシーンなんてのが、やはり、カットを変えることなく、ワンショットでの動きで見せるという意味で、近い印象です。

 人物や車のデフォルメ具合(ゴムのようにしなやかな感じ)も、戦前の短編アニメ風です。戦後でいえば、日本でもテレビ放映された「トムとジェリー」「ポパイ」「フェリックス君」あたりのです。

 機会があれば書きますが、ぼくは中学生のときに、オリジナル版の『新宝島』を何度か読んでいます。このときの第一印象(直感)も、「アメリカのアニメみたい」でした。「映画的」という評価は、その頃から知っていたはずで、現物を見た瞬間、「実写映画」ではなく「アニメみたい」と感じたことを憶えています。


>インディジョーンズ 魔宮の伝説』での洞窟内のトロッコの追跡シーンみたいな動きです

あの場面はけっこう細かなショットを積み重ねてできているはずです。例えばレールが途切れていてそこをトロッコがよっこらしょと飛び越えるところはよーくみると編集でつなげまくっていました。カリ城の屋根ジャンプをパクったのでしょうがワンショットであれはきつかったのだと思います。

同じように新宝島冒頭がワンショット撮影(的)なのかどうかはやや疑問です。印象としては正しいのですが、突っ走っていく物体を編集でつなげていくと流れて感じることはあるはずです。

短編アニメの影響じたいは否定しません。ただ、フィルムからいきなりまんがに置き換えたのかどうか、そこがやや気になります。手塚以前に技法としてはもう誰かがおこなっていて、それに影響を受けた(つまり USAアニメ→新宝島 ではなく USAアニメ→戦前のまんが→新宝島)可能性もあるわけです。


「インディ・ジョーンズ」の編集については、そのとおりなんですね。いちおう、連続して動いているように「見える」という意味にしておいてください。アニメの場合も、たとえフルアニメでも、それはカットの積み重ねですから。

 手塚先生は、戦前、自宅でディズニーのアニメを見られたという当時としては希有な環境に育っています。繰り返し見ることも可能でしょうし、直接影響を受けたと考えるのが自然のような気もします。もちろん、その他のマンガの影響があったとしても、それはおかしくありません。


 お久しぶりです。すがやさん。
 『新宝島』の「映画的」というのは、実は「アニメ映画的」ということなのではないか、というのは、私が今編集している、ヨコタ村上孝之さんのマンガ論の本でも指摘されています。
 図版が多いので今年うちはちょっと苦しくて、来年1月の刊行になると思います。
 元の論文はたぶん5年位前に書かれたものですが、初稿では論旨がもう一つわかりにくく、書き直してもらっているうちにこの主題がはっきりしてきました。
 期せずしてたけくまさん、すがやさん、村上さんが同じことを考えていたということだと思います。
 何かと批判の多い村上さんですが、かなり着眼点のいい仕事もされていて、そこが伝わるような本にしたいと思っています。
 出来上がったらお送りしますね。
 


>ハニーさん……ハニーさん……?

 あ、Fさんですね(とログのアドレスを見て納得)。こちらこそ、ごぶさたしています。

 ちょうどいま掲載したばかりなんですが、ぼくは『新宝島』の現物を見たことがありました。ただし、小学6年生のときで、そのとき感じたのは「古くさい」でした(^_^;)。でも「手塚治虫のデビュー作」ということも知っていて、そちらの価値に興奮していたのを憶えています。

 来年、刊行されるマンガ論の本、楽しみにしています。

 この本も論文がベースになっているんですね。いま、そのレポートや論文の書き方を授業で学んでいるところで、ふだん書いているのとは異なる論理構成に、頭を悩ませている最中です。


 なんか今更な話で申し訳ないんですが・・・・・

 2005年10月12日、【■灰になった『新宝島』】のコメントの項目で談志師匠が“スピード感”について語った文章が紹介されてますが、“映画的”の意味は“経過時間とカット割り(コマの量、もしくは事象の量)”も関係あるんではないかなあ、とか思ったりもします。漫画と映像(この場合フィルムとビデオは同義。また、実写とアニメは区分けしません)の決定的な違いは“画面のサイズ”と“送り手側による時間の制御性”かなあ、と考えると個人的に結論はそこに行っちゃうんですよねえ・・・・・

 見当違いだったらすみません・・・・



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