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NHKスペシャル『映像詩 里山 命めぐる水辺』今夜放映

 このところマンガの表現技法についての話題がつづいているが、ひょっとすると、石ノ森章太郎先生のマンガの影響を受けているのではないか……と思われるような構図の映像が出てくるドキュメント番組が、今夜、放映される。

 題名は『映像詩 里山 命めぐる水辺』。かつてNHKスペシャルで放映された作品だが、イタリア賞を受賞した記念に再放送されることになったらしい。放映時間は21:00~21:52。

 ハイビジョンカメラで撮影された作品だが、ハイビジョンカメラでなければ撮影できないような超クローズアップ、あるいは空から俯瞰していたカメラが被写体にぐいぐいと動きながら迫っていくズームインなど、石ノ森章太郎作の『ジュン』を思わせるような構図が随所に出てくるのだ。

 マンガの表現技法に関心のある方で、お時間のある方、ぜひ、ご覧になってみてください。

 わたしは、最初に放映されたときに観て感激し、DVDまで買ってしまいました。

  詳細は、こちら


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コメント

初回放送の時見ました。
昨日は途中から気づいて見てましたが、随所に現代版の「江戸風物詩」を感じました。
石ノ森先生の「佐武と市捕物控」にも随所に俯瞰図が出てきますよね。
石ノ森先生ね、佐武・市は「僕の子供の頃は回りには、いっぱい江戸時代の名残が残っていた。井戸もそうだし・・・」(この言葉どおりにしゃべられたかは、正確には覚えていませんが、大体こんな感じで話してくださいました。)
先生の生家は農家ではありませんが、井戸があります。生家の周りは農家が多かったので、東京で故郷の情景を思い出して、江戸時代の酷暑や極寒の厳しさを絵(萬画)で表現されました。
番組では水端と言っていたかな、湧き水や井戸端は夏の野菜を冷やすのに活躍していたようですね。あの、きゅうりやなす、瓜の早送りシーンが実に石ノ森先生的だと思いました。(別にこの部分だけで季節の移り変わりを表現したわけではなく、時間の経過を表しただけですけれどね。)
この映像が町並みではなく、「里山」の自然を通しての四季を映像詩にしている点では、『ジュン』の方が近いでしょうか。


>千鳥さん

 コメントをありがとうございました。

 番組の中で川の水が家の中に取り込まれているところは「カバタ(川端?)」と呼ばれていました。

 オニヤンマの羽化、カエルの目に映る花火、バケツの中の魚を覗き込む子供の笑顔をバケツの底から映した構図などが、石ノ森章太郎先生の『ジュン』あたりのような印象を受けました。

 昨年の夏、石ノ森章太郎ふるさと館に出かけたおり、生家にも寄らせてもらいました。夏ということもあって、空には入道雲が湧いていて、『佐武と市』や『龍神沼』の気分を味わうことができました。


今、思えば、あの「里山」のいう番組で「江戸風物詩」を感じるなんて、江戸時代の江戸の町を想像してるしてるんじゃなくて、それを支えた地方の人たちの暮らしを想像しているのに過ぎないことに気づきました。
だから、「佐武・市」の中にちょっと出てくるような自然描写にも江戸情緒を感じてる、ということですね。

ところで私は、先生の故郷に初めて行く前は、「里山」のいっぱいあるところだと思っていたんですよ。『龍神沼』という作品もありますしね。
で、結局二度も『龍神沼』探索ツアーをしました。沼のモデルは現在も調査中。


>千鳥さん

 昨年、先生の弟さんのガイドで、『龍神沼』の舞台になった場所へのツアーがあったようななかったような……。


>すがや様
去年の10月10日に「石ノ森萬画館」のワークショップで石ノ森先生の弟さんの案内で「龍神沼の少女を探して」というワークショップがありましたよ。
萬画館のスタッフは2003年に下見のため案内してもらってます。
私の方は、そのワークショップに参加予定だったのですが台風の影響で出発日前日(10月8日)に参加をキャンセルしました。
ただし、昨年の中田町「石ノ森章太郎ふるさと記念館」夏祭りの日に、『龍神沼』のモデルの一つである「白雉山」(はくじやま、旧石越町)の「愛宕神社」(あたごじんじゃ)に行っています。「村社」となっていたので、そこが昔、「石森村」の村社であったことを確認して、ワークショップ前に教えてあげました。
今年8月28日(日)には、平山亨さんや石ノ森章太郎ファンクラブのメンバーと一緒に石ノ森先生の弟さんの案内で「龍神沼探訪ツアー」をしました。

伊豆沼や長沼のあたりは「水の里」だったのでしょうか?
北上川はよく氾濫したらしくて、あの辺の治水事業は大変だったようです。
石ノ森先生の出身地はデビュー当時は「石森町」ですが、その後の「中田町」の由来は「中田沼」から来ています。


 平山さんにもしばらく会っていないなあ……。

 丈クンの結婚式以来かな。

 雑誌などを見ているとお元気そうで、安心しているのですが……。



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