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灰になった『新宝島』

『テヅカ・イズ・デッド』にも紹介されていた『新宝島』(酒井七馬・原作構成/手塚治虫・作画)は、昭和22年に大阪の育英出版から刊行された手塚治虫の実質的デビュー作だが、この本の現物を見たことがある人は多くないだろう。
 ぼくが、『新宝島』の実物を目にしたのは、たしか昭和37年、小学6年生のときだった。母が働く近所のSさんのお宅に、絵の好きな20代後半の息子さんがいて、毎日、店の二階にある自室で油絵を描いていた。ひとり息子だった彼は、高校生のときに受けた蓄膿症の手術で脳の一部が傷ついたそうで、以後、体調が悪くなると、突然、家を飛び出してどこかに行ってしまったり、発作を起こして暴れたり、あるいは卒倒したりするようになった。そのため大学進学も就職も断念し、家で静かに絵を描く毎日を送るようになったのだ。
 Sさん宅は飴屋さんで、ぼくの母が昼間ここで働いていた。母は、Sさんのご主人が手作りした茶飴や金太郎飴を、セロファン紙で包むのが仕事だったが、Sさんの息子さんが家を飛び出したり倒れたりするたびに、近所を探しまわったり救急車を呼んだりすることで、1日が終わることも多かったらしい。救急隊員とも、すっかり顔なじみになっていた。
 その息子さんが体調のいいときに遊びにいくと、「ぼくもマンガが好きなんだよ」といって、スラスラと紙に鉛筆でマンガの絵を描いてくれた。ぼくがマンガを描きはじめたばかりの頃で、そのことを母が息子さんに話していたらしい。
 描いて見せてくれたマンガの絵は、油絵をやっているせいか、たしかにプロの絵のようにうまいのだが、でも、どこか古くさかった。少年雑誌には手塚治虫、石森章太郎、横山光輝といったスマートな絵柄のマンガが増えていた頃だ。そんな最新のマンガに比べると、息子さんの描くマンガの絵柄は実に古めかしい。どう見ても昭和20年代のものだった。
 もちろん、そんなことは口には出せず、「うまいですね」とお世辞を言ったような気がする。機嫌を損ねるようなことを言うと発作を起こすかもしれないからと、母に釘を刺されていたからだ。
 息子さんは気をよくしたのか、にっこりと笑って、「宝物にしているマンガがあるんだ」といって、ガラス戸のついた本箱の中から1冊の本を出して見せてくれた。それが『新宝島』だった。

 表紙にはパラフィン紙のカバーがかけられ、きれいに保存されていた。15年ほど前の本なのに、まるで買ってきたばかりの新品のようだった。
 ぼくは『新宝島』が手塚治虫のデビュー作であることは、すでに知っていた。たぶん『マンガの描き方』あたりで知ったのではないかと思う。ぼくは、「手塚治虫のデビュー作」という意味で「すごい!」と思い、感動しながらページを丁寧にめくっていったのだが、内容には失望していた。絵も構成も、あまりにも古くさく見えたからだ。
 息子さんの描くマンガが古い理由もわかった。『新宝島』がマンガの手本だったのだ。
 でも、手塚治虫のデビュー作ということで、ものすごい価値があるであろうことは、ぼくにも想像がついた。息子さんが「宝物」だという理由もわかる。
「実物の手塚治虫のデビュー作」に興奮しながらページをめくっていたせいで、内容については、表紙や冒頭の数ページしか記憶にない。マンガを自分で描くはじめたばかりだったぼくは、コマ割りや構図にまでは意識がまわらず、人物や背景のペンの線ばかりに注目していたのではないかと思う。
 その様子を見ていた息子さんが、突然、「この本、ほしい?」とたずねてきた。
「はい」
 ぼくは素直に答えた。
「大事な本だから、いますぐあげるわけにはいかないけれど、ぼくに何かあったときには、みつるちゃんのところにいくようにしておくから」
 息子さんは、そういって、ぼくが読み終わった『新宝島』を本箱にしまい込んだ。
 ぼくは、その言葉の意味がわからずキョトンとするだけだった。
 Sさん一家が郊外の田んぼの中の一軒家に引っ越していったのは、ぼくが高校生になってからだった。母も勤め先を変えたため、Sさんのお宅に出かける機会はなくなっていた。

 ぼくが生まれ育った静岡県富士市は、製紙の街として知られている。ぼくの家は工場地帯の近くにあり、慣れているせいで気づかなかったが、いつも悪臭が立ちこめる公害の街でもあった。製紙工場から排出されたヘドロが田子の浦に積もり、社会問題となるのは、この数年後のことだ。
 Sさん一家が引っ越したのは、製紙工場から出る悪臭のせいだった。息子さんの体調が悪化していたのだが、悪い空気が原因ではないかと考え、工場のない田んぼの中の家を買い求めたのだ。母と一緒に一度だけ訪ねたことがあったが、富士川の土手に近く、3年ほど前(昭和39年/1964年)に開通した東海道新幹線の高架橋が近くを走る以外は、田んぼが広がるばかりの、いかにも空気が良さそうな環境だった。
 息子さんの体調も落ちついていると聞いていたのだが、ある日、突然、その息子さんが亡くなったことを母から聞かされた。息子さんは、新しい家でも絵を描いていたのだが、周囲の田んぼの田植えが終わって梅雨が明けた頃、予期せぬことが起きた。伸びはじめた田んぼの稲に害虫がつかぬよう、軽飛行機が飛んできて、農薬の空中散布をはじめたのだ。
 Sさんの家の中にも散布された農薬が入ってきて、その匂いを嗅いだ息子さんは、とたんに発作を起こし、家を飛び出してしまったらしい。富士川の土手をのぼっていったらしいのだが、そのまま東海道新幹線の柵を乗り越えて線路内に入り込み、新幹線の車両にはねられてしまったのだという。もちろん即死だった。
 ぼくは、息子さんの「ぼくに何かあったら……」という言葉を憶えていた。「何か……」というのは、このようなことを予期していたのかもしれない。そんなことも考えた。
 葬儀には母がひとりで出かけたが、その後、市の主催で開かれた絵の展覧会に、息子さんの作品が遺作として展示されることになった。母に誘われて文化会館という展覧会場に出かけると、Sさんの奥さんがいた。
「お兄さん、『新宝島』ってマンガの本を大事にしてましたよね……?」
 ぼくは、気になっていたことをそれとなく訊ねてみた。「ぼくに何かあったら、この本をみつるちゃんにあげて」と両親に遺言していたのではないかと、かすかに期待しての質問だった。
「あのマンガ、とっても大事にしていた本だったので、お棺の中に入れてあげたのよ」
 いつも穏やかな口調で上品に話す奥さんが、そう教えてくれた。
「そうなんですか……」
 ぼくは、ちょっぴりガッカリして、帰り道、数年前の息子さんとの会話の内容を母に話したのだが、とたんに、
「そんなこと言うもんじゃない。それが一番の供養になることだと、お母さんが思ってしたことなんだから」
 とたしなめられ、それもそうだと即座に反省した。すでにマンガ同人誌に加わり、隔月くらいのペースで上京しては、石森章太郎先生や松本零士先生などに、自作のマンガを見てもらうようになっていた頃のことだ。


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コメント

>隔月くらいのペースで上京しては、石森章太郎先生や松本零士先生などに、自作のマンガを見てもらうようになっていた頃

この松本さんはおいどん前の松本さんでしょうか


>MMMさん

 1967年のことですから、『おいどん』から4~5年前です。

 参照:http://www.m-sugaya.jp/blog/archives/000203.html


あ~
>http://www.m-sugaya.jp/gif/zerosen.gif

それから当時のすがや絵は石森さんのにとても似ていますね。なんかかわいいー(←嫌味ではないです)。


本題の新宝島ですけど、当時のもの(全集版ではなく)はまだ目にしたことはないので踏み込んだ技法分析がしにくいのですが、コマの大きさがほぼ均等だったと記憶しております。コマの大きさが極端に不ぞろいだったりとか人物がにょきっと枠からとびだすとか、そういう技法が当時なかった故にかえって動的ストイックが演出されたのかな。ふっとそう思いました。


>MMMさん

 絵のことをお褒めいただき、嬉し恥ずかしで、もだえております(^_^;)。

『新宝島』については、こちらも、ほとんど記憶がなく、『テヅカ・イズ・デッド』などに紹介されている一部のページを見ているだけですが、山や丘の重なりを使った遠近感の出し方みたいなところが、アメリカの短編フルアニメ風なんです。

 遠景の丘の向こうに車が見えて、道路を下ってきた車が、中景の丘の向こうに消えて、しばらく立つと中景の丘の上に姿を見せ、こんどは前景の……とつづくような動きが、昔の短編アニメには多かったと思うのですが、『新宝島』には、そんな構図&動きが感じられるんです。

 コマ運び、コマの省略などについても、いずれ書いてみたいと思います。

 そういえばぼくは、石森プロで『仮面ライダー』の仕事をもらったとき、小学生向けを意識して、石森章太郎先生が描かないコマとコマの間を描こうと考えつつ、コマ割りをしていました。師匠の監修つきで、やっとマンガを描かせてもらう状態だったくせして、こういうところはナマイキだったようです。


 初めまして。いつも楽しく拝読させていただいております。
 さて、本日の記事の中で、Sさんの息子さんが、柵を乗り越えて線路内に入り込み、新幹線にはねられて死んだ、というところがございました。記述の内容から、昭和42~43年の出来事だと思いますが、新幹線は開業以来、つい最近まで死亡事故を起こさなかったことが、その安全性の証明として報じられておりました。
 すがや先生がお書きになったSさんの息子さんの事故死は、当時、まったく報道されなかったのでしょうか? また、その後も長く新幹線は人身事故、死亡事故を起こさなかった、と報じられつづけたのは、この事故は隠蔽された、ということでしょうか? ご教示いただければ幸甚です。


>ジェジェさん

 コメントをありがとうございました。

 お尋ねの件ですが、ぼくも同じことを考え、もう30年ほど前に調べたことがあります。

 また、現在、早稲田大学人間科学部eスクールで、インターネットを使った通信教育を受け、この秋学科から、「安全人間工学」という航空機事故や鉄道事故もテーマに含まれる科目を受講していますが、ここでも、ちょうど新幹線の死亡事故の話題が出てきました。

 結論からいうと、新幹線では投身自殺などが多数起きていますが、それは新幹線のシステムに起因するものではないので、死亡事故とはカウントされていないそうです。また、在来線でも同じはずです。このところ少し減ったような気がしますが、JR中央線などは、毎日のように投身自殺があり、駅にガードマンが配置されたほどでした。

 新幹線の死亡事故については、1995年に東海道新幹線・三島駅で、乗客が指をドアに挟まれてホームを引きずられ、線路に落下して死亡したことがありますが、これが唯一の死亡事故としてカウントされています。

 Wikipediaの「新幹線」や「鉄道事故」の項目にも、同様の解説がありますので、参考になさってみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A#.E6.96.B0.E5.B9.B9.E7.B7.9A.E3.81.AE.E5.AE.89.E5.85.A8.E7.A5.9E.E8.A9.B1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85#.E6.9D.B1.E6.B5.B7.E9.81.93.E6.96.B0.E5.B9.B9.E7.B7.9A.E4.B8.89.E5.B3.B6.E9.A7.85.E4.B9.97.E5.AE.A2.E8.BB.A2.E8.90.BD.E4.BA.8B.E6.95.85

 上のURLが途中で切れてしまい、うまくブラウザのアドレス欄にペーストできないようでしたら、

 http://ja.wikipedia.org/wiki/

 このURLの検索窓に「新幹線」または「鉄道事故」と入れて検索してください。


 すがや先生

 お忙しい中、早速のレス有難うございました。そういうことになっていたんですね。初めて知りました。しかし、鉄道会社のそういうカウントのし方は、ちょっと無責任ですね。簡単には柵を乗り越えられないようにしたり、線路に飛び込めないようにしたりするのも安全対策の一つだと思うのですが。

 末筆ながら、雑記帳、これからも楽しみにしております。あわせて、すがや先生のご健筆を、心よりお祈り申し上げます。


>ジェジェさん

 新幹線については、柵の支柱が一定の角度以上に傾くとセンサーが感知し、列車を停止させる仕組みも備わっています。

 ただし、最近も岐阜あたりで線路に鎖を巻き付けたり、枕木に線路を固定しているボルトを抜いたりする妨害事件がありましたが、このような確信的なテロ行為や、自殺行為などになると、防止はむずかしいのではないでしょうか。

 いちおう新幹線には、安全運行妨害に関する特例法も用意されています。法律からも安全を確保しようという考え方でしょう。

 http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/08/081024_2_.html


>当時のもの(全集版ではなく)はまだ目にしたことはないので

ただいくつかの頁はあちこちで引用されていますね。冒頭のあれはアニメ的長まわしワンショットとは実際にはどうも異なるように思うのですが。


>MMMさん

 ディズニーチャンネルで毎晩、戦前の短編アニメを放映しているようなので、ちょっとチェックしてみます。


すがや先生
立川談志師匠が「新宝島」を、「びゃーときて、スピード感が他のマンガとぜんぜん違う、当時おったまげた、まさに天才」と激賞しております。テレビでも放映されたようです。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200510/tuesday.html


>宮谷ファンサイト管理人さん

 コメントをありがとうございました。この立川談志師匠の番組は、NHK教育テレビで放映されていたようです。テキストもNHK出版からムック扱いで出ていますね。未見、未読なのですが、別の番組のテキストを買ったばかりなので、存在だけは知っていました。

「ディズニー・チャンネル」で、戦前の「ミッキーマウス」「ドナルドダック」「グーフィー」もののアニメを観ましたが、『新宝島』の絵柄そのものが「ミッキーマウス」を参考にしたような印象を受けました。丸く柔らかい描線、人物のデフォルメ具合などがです。「グーフィー」はイヌそのものなので比較しづらく、「ドナルドダック」は擬人化されているものの、大きなお尻を振り振り歩くので、ちょっと比較しにくかったのですが……。

『新宝島』が「新しい」印象を与えたのは、こんなところにもあったのかもしれません。



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